汗に濡れつゝ
 
石川啄木
 
 
(一)

▲かう毎日暑くては奈何(どう)なる事だらうと思ふ。土用入前から九十度以上の暑さの続くとは例年に無い事だと新聞にも書いてあつた。何しろ暑い、慾も得もなく暑い。朝起きて銭湯に行つて来て、新聞に目を通してゐると、もうチョロ/\腋(わき)の下から汗が流れる。今日も尽日(いちにち)蒸されるのか!と思ふと、思つただけで何を為(す)る気もなくなつて了ふ。
▲諸肌(もろはだ)脱いで仰向に寝て、パタ/\団扇(うちは)を使つてる間(うち)は、少し活きた心地もしてゐるが、何時しか腕が疲れて団扇が動かなくなると、総身の毛穴から熱帯風(シロツコ)でも吹き出す様に、ボウツと熱くなる。胸の上に湧いてゐた汗が、肋骨(あばらぼね)の間の浅い渓谷(たにあひ)を伝つて、チヨロリと背の方へ落ちて行く。右からも左からも落ちて行く、猿股(さるまた)がグツシヨリだ、気味の悪い事この上もない。
▲アイスクリームはダラ/\と融けても猶(なほ)多少の冷気を蔵してゐるが、暑気(あつさ)に悄気(しよげ)た人間には、何の味もない。意地も張(はり)もない。骨の無い海月(くらげ)にも、那(あ)の半透明な体に何となく『海の涼しさ』が寵つてるが、汗にネバ/\した人間の皮膚は唯汗臭い許りである。ふやけた体のあらゆる線が、みな離れ/〃\になつてゐる。
▲春は女といふ女が若く血の気多く愛すべきものゝ様に見える。秋になれば男といふ男の顔にしまりが出て来る。どんな鈍間(のろま)な男でもスイ/\と秋風が吹いて来れば、自(おのづ)と眉間(みけん)に智慧(ちゑ)の影が動く、冬には男も女も何かしら心待ちに待つてる様な眼付をしてゐる。
▲言つて見ようなら、夏の姿は弛廃(ちはい)の姿である。倦怠の姿である、大自然の活動がその旺盛の極に達した時、憐れな人間は肉体の弛(ゆる)みと精神の疲労(けだるさ)を抱いて、懶(ものう)げな手付をして流るゝ汗を拭いてゐる。鈍い眼、たるんだ肉、締りのない口、だらしない其格好は、融けかゝつた蝋人形の様である。夏の生活は醜い生活だ。
▲若しもプツ/\と油汗の湧く皮膚の一片をとつて顕微鏡に照して見たなら、其処に倦み疲れた我等の人生の、飾らず偽らざる如実の姿が映るかも知れぬ。――あゝ可厭(いや)なこツた。
 

函館日日新開 明治四十二年七月二十五日
 
 
(二)

▲開放(あけはな)した二階の窓から見下すと、下は弓町二丁目の通りである。もとより繁華な通りではないが、種々(いるいろ)の人が通る。皆暑さうである。就中(なかんづく)暑さうなのは漆黒(しつこく)のフロツクコートを着た紳士である。威儀堂々と反りかへり、肘を張つて真白な扇を鷹揚に使ひ乍ら行く、御本人は立派に紳士の態度を保つてゐる積りだらうが、上から見てゐると、扇を使ふ其手付が今にも踊り出しさうに見える。気の毒乍らさう見える。一寸内衣嚢(うちかくし)から金時計を出して見て、すぐ納(しま)つた手付は又手品師の様でもある。那(あ)の雪の様な高い襟(カラー)の下は汗でネバ/\してるのだらうと思ふと一層気の毒である。
▲向側の狭い路次から三十位の内儀(おかみ)が出て来た。波形模様の萎えた浴衣を諸肌脱いで両袖を腹に巻き、肩に濡手拭を披げて掛けてゐる。髪は櫛巻である。眉間に皺を寄せて、如何にも暑くつて耐らなさうな顔だ。内儀(かみさん)は路次口の溝板(どぶいた)の上に立つて、「マア奈何(どう)でせう今日の暑いつたら、――可厭(いや)になつちやつた。」と真実(ほんと)に可厭(いや)になつた様な声で言って、持つてゐる団扇(うちは)を頭の上に(かざ)した。対手は此処から見えないが、何(いづ)れ此方側の家の者と話すのだらう。
▲内儀(かみさん)は二言三言話してから、体を投げ出したさうな格好をして、又路次の中へ入つて行つた。これから昼寝でもする積りなのだらう。――人間は遂に孤立の動物でない――考へて見ると今の下司張(げすば)つた顔をした内儀(かみさん)の行つた事も仲々面白い
▲暑いなら暑いで自分一人で暑がつてゐれば可い、何も態々(わざわざ)出掛けて来て「暑い/\」と吹聴して行かなくたつて可ささうなものだ。いくら暑い/\と言つたつて流れる汗が一滴たりとも少(すくな)くなる訳ぢやないのだ。悲しいにしても嬉しいにしても然(さ)うである。自分一人で泣いたり笑つたりしゐても可ささうなものだが、事実然うは行かぬ。屹度(きつと)対手(あひて)を求める。その対手に自分の思つてる通り思はせようとする。少くとも自分の思ふてる事を理解させようとする。思はせても理解させても自分には何の増減が無いに拘らず、屹度(きつと)然うする。これは常に自己を表現せむとする人間の本能の一つである。本能といふ外に今のところ別に説明のし方が無い。
▲芸術制作の最初の動機を人間の遊戯的衝動に置くといふ説は、今迄美学者の殆んど全体に認められてゐた。これは誰しも知つてゐる事である。シルレルの「遊戯動機論」の精神は美学の大成者と言はれたハルトマンによつて殆んど確定義とされた。
▲詰り芸術も亦一種の遊戯であつた。「かういふ芸術は無論今でもある。」ところが、此在来の美学は、最近三十年間に起つた種々の芸術上の出来事によつて、事実上最早(もはや)何の権威も認められなくなつた。美学上の諸標準は今やもう何処へ持つて行つても当嵌(あてはま)らない。殊に小説や戯曲に於て然(さ)うである。我等が今日要求し、且つ幾分其要求を充たされつゝあるところの文芸上の作物は、その需要者のそれらを享受する精神状態にこそ猶多少の遊戯分子が残つてゐるものゝ、その制作上の動機乃至精神には毫もそれが無い。これは近代文芸の発達と、それを誘起した我等の内的生活の革命とに留意してゐる人の誰しも拒む能(あた)はざる所である。
▲そんなら、芸術に対する科学的研究――新らしき美学といふ者の建設は全く絶望であるかといふに、決して然うではない。裏長屋の内儀を例に引くも可笑しいが、自己表現といふ事に芸術の発足点を置く事によつて恐らく今後の新らしい研究が其基礎を得る事であらう。
 

函館日日新開 明治四十二年七月二十七日
 
 
(三)

▲今しがた一人の印度人(インドじん)が通つた。大学へ来てゐる留学生とかで、よく途中で見掛ける男である。背が高く、顔も手も白髪染で染めた様に黒い。真白な詰襟(えり)の夏服に、これも真新しいヘルメツト形のパナマを冠つて行く、服も帽子も白いので、顔と手が一層黒く見える。一寸考へると、熱帯国をなつかしい故郷に持つた彼は、知る人もない異郷の都会に、見た事のない雪に降られたり、着た事のない厚い衣服(きもの)を着たりして暮してるのだから、夏が来て暑くなつたら嘸々(さぞさぞ)故郷が忍ばれて嬉しいだらうと思ふが実際は然うでもないらしい。矢張(やつぱり)暑さうに上衣の釦(ボタン)を脱(はづ)し、時々真白な白巾(ハンケチ)で真黒な顔を拭き乍ら行く。手巾の黒くならないのが不思議である。
▲向う三軒両隣とよく言ふが、此二階からは両隣が見えない。向ふ三軒だけ見える。三軒の一軒は車屋である。二軒は並んで何(いづ)れも氷屋である。四寸許りの幅に赤い縁をとり、裾に鋸歯状(のこぎりがた)の刻目(きざみめ)をつけた氷屋のフラフが、予の鼻先に、竹竿の尖に吊下つてゐる。……そよとの風も吹かぬ、烈しい真夏の光線の中にダラリと吊下つてゐる。死んだ物の様に動かないが、赤い縁が日をうけて燃えてゐる。手を触つたら焼け爛(だた)れさうである。……いかにも夏らしい感じだ。氷屋の旗(フラフ)といふよりは、『夏』そのものゝ旗章(はたじるし)と言つた方が可いかも知れぬ。さうして此の『夏の旗章(はたじるし)』には『氷』といふ字が書いてある。なんと面白いではないか。これも我等が平気で看過してゐる趣味ある反語的事実の一つである。
▲其向ひの店は加貨屋といふ。これは先月予が此処へ移転(ひつこ)して来た頃は一膳飯屋(いちぜんめしや)であつた。店には腹高障子を立てゝ、それに『一ぜん飯』『酒さかなあり』などゝ書いてあつた。それが先頃二三日の間、店を閉め切つて客が来ても断つてゐる。どうしたのかと思つてると、或朝、早変りをして氷屋になつてゐた。今は腰高障子の代りに硝子の管を繋いだ涼しさうな暖簾(のれん)が下つてゐる店先には、細長い三台の腰掛に赤毛布を掛けて、其上に夏坐布団が列(なら)べてある。
▲其隣は楽天舎といふミルクホールである。これは加賀屋よりも前から牛乳と兼業で氷を売出したのだ。二軒共朝の十時頃から夕方まで客の絶える事がない。ゴス/\と氷を磨(す)る音が尽日(いちにち)聞える。ゴス/\といふ音そのものは暑くも寒くもないが、それが氷の砕ける音だと思ふと、奈何(どう)やら涼しく聞える。少くとも暑苦しい感じは起らぬ。目を瞑(つぶ)つて凝乎(じつ)として聞いてゐると、深山(みやま)の奥で樵夫(きこり)が大木の根を大鋸で挽(ひ)いてゐる音の様でもある。かと思ふと、だらしない態(なり)をした女が昼寝の目を覚まして、蚤に喰はれた腿(もも)の辺(あたり)を手荒く掻いてゐる音の様でもある。
 

函館日日新開 明治四十二年七月二十七日
 
 
 

 底本:石川啄木全集 第4巻  筑摩書房
  1980(昭和55)年3月初版発行
 

 入力:新谷保人
 2008年8月15日入力