(京子インキ壷を覆してこんなにいたし候、見えぬ所はよろしく御推読被下度候)
終日強風砂塵を捲いて、窓外徂徠の人も少なく候ひしが、夜に入りてより雨声断続、故里の川音、と許り
去る十三日夜小樽にまゐり、一家を引纏めて昨朝再び当地に帰り候、一身上の事、諸友と合議の末、郁雨宮崎君の甚大なる厚志により、小生は五六日中に単身上京する事と相成候、そして家族は、小生が京地にて何等か生活の [インキの斑点にて文字上明] 見する迄当地に置き、同君が養つて置いて [同上上明] 以来将に一週年ならむとす。敗れて来り [同上上明] 転じた間に、小生は僅かに北海道を一週いたし候、 [同上上明] 失敗の跡のみなり。血痕はだらなる一年間の記録を見て、今、多少の感慨禁ぜざるを覚え候、
昨夏臥牛山下を御立ち遊されてよりの大兄の御心境は、略拝察致居候ひぬ。然し乍ら大兄には猶小生に無き事二つ御持ちなされ候ふ様に被存候、一つは、生活の威迫を蒙らざる事にして、他の一つは、兎にも角にも静かに物思ふだけの時間をお持ちなされ候ふ事に御座候。何と申してよかるべきか、心一つを千々の思ひに砕きて、然も詮ずる所、私は、身も、而して悲しいかな心も、遂に天が下の一浮浪漢に御座候。ヤドカリと申す虫けらにも劣ればや、三界に住むべき家もなく、朝より夜まで、又、朝より夜まで、身辺常に風あり雨あり、穏かなる事とては無之候。
現時の生活に適合して生存へむ事は、死よりも何よりも、遙かに遍かに至難の事の如く見え侯。敗れたるを勝ちたりとする、異りたる心を持ち候ふ者は、敗れたるを敗れたりとする人よりも、苦しみの多き事十倊百倊なるを
事に臨んで自ら胆の小ならざるを誇り候ふ私は [インキの斑点にて文字上明] 歩を断頭台上に移す事あり共、笑を含んで死に就く位 [同上上明] は出来うべく候。然し乍ら此一切の虚剥落したる絶対の『孤独』の前には、一切の空しき如く私自身も亦唯空しく候。
既にして此暗灰色の霧の中に幽かに物の影の動くを見る。この影は、幼時の追憶に似たる、灰かなる『ロマンチックの影』に候。かくて一葉もつけざる『孤独』の大樹の枝々に、いろ/\なる空想の芽を吹き候。空想は空想を生みて尽くる所なし。然して此空想が一度『慾望』と手を握るに至つて、捕捉し難き空想が漸次実際に近き来る遂には、自己の前途猶多少の
此径路は私が幾十回となく心中に繰返したる所。
然し乍ら、一切の理想といひ希望といふもの畢竟上確実極まるイリユージョン――極言すれば人生の虚偽に過ぎざらむとするを覚知いたし居候ふては、矢張平然として路行く人に伊して前に許り進む事能はず……所詮私は『生活』に適合する能はざる人間にして、人生の落伊者也、身も心も宇宙の浮浪漢なりといふ感じが、一種の暴風的歓喜を伴ひて私の心を荒らし申候。
此暴風的歓喜は、畢竟するに自暴自棄の声に御座候、一種の狂的発作に御座候。――自暴自棄に疲れたる心は、やがて又『一切虚無』の怖ろしき思想に一瞬の安逸を貧らんとし、やがて又、再び孤独の寂寞に涙もなく泣かむとするにて候。
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之を横に見たる時、『人生』は際涯なき平面なり。前後左右、唯これ波瀾重畳なる未解決の血の海なり。未解決なり、故に其唯一の結論は『虚無』。
之を縦に見たる時、『人生』は初めあり、而して終りあり……
縦はどこまでも縦にして、横はどこまでも横なり。私の心中には此二つの大いなる矛盾あり。遂に相一致せず。既に野心児なるが故に、私に常に
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釧路に於ける七十日間の生活は、殆んど生死の大権を提げて私の若き心に威迫を試み候。大兄よ、私釧路に入りて、生れて初めて酒といふもの飲み習ひ候ひぬ、時としては連夜旗亭に沈酔して、また天日の明きを見ず。酔うて帰りて寝ね、覚めて社に行き、黙々筆を走らして編輯を〆切れば、足また旗亭に向ふ。吉井君の所謂『おけ/\と頭を乱すもろ/\のみだらの曲をおもしろと聞く』てふ悲しき事もまた私の自ら経験したる所。時としては、酔快く発して、白眼世を視、豪語四隣を空しうし、盃を
銚子を控へて我をして乱酔するを許さゞりし一妓の情に、辛くも慰められたる事あり。又
人は感情の満足を、若き女に求め、家庭に求め、趣味に求めむとす。然れども小生は遂に天が下の浮浪漢なり。之を若き女に求めむには我が心老いたり。之を家庭に求めむには我が性あまりに我儘に過ぐ。而して之を趣味に求めむには、我が趣味あまりに自発的なり。所詮は之を自己自らに求むる外に途なきを悟り候ひぬ。
『創作的生活』(専念創作に従ふ生活)はかくて現在の私の最大なる希望、唯一の希望に候ひき。(二十一日夜)
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(以下二十二日夜書きつぐ)
御高書は着函するとすぐ郁雨兄より渡されて拝見いたし候ひき、失礼乍ら御言葉多く当らず。唯々面を赤う致候。かの卓上一枝の如きも編輯局裡の走り書、畢竟するに私胸中の矛盾をそのまゝ表白したるものに過ぎず候。
本日郁兄と相談の結果、来る二十五日未明出帆の三河丸にて海路より上京する事と相成候、先づ以て新詩社にまゐる筈。委細は京地より御通信可申上候。白村正両兄皆頗る健。頓首
四月二十二日午後十時半 啄木拝
大島先生 御侍史
※テキスト/石川啄木全集・第7巻(筑摩書房 昭和54年) 入力/新谷保人