二六〇 四月十七日小樽より 岩崎正、吉野章三宛


 

或所に一人の年老つた母親が居たとする、其頼りに思ふ唯一人の息子が、飄乎某地を去ると許りで、海に入つて幾日消息が無いとする、そして米が無くなつたとする、無理算段をして某地に居る、妹娘の許へ汽車で行つたとする、……こゝまではまだよい……其汽車が途中或停車場に着いた、時は夕方、同車の人が皆弁当を買つて食つたとする、そして此老いたる女は、乗車券一枚の外、懐中一厘一毛もなかつたとする。……………君、若しこれが小説であつたら、否、小説にだけあつて、事実に無かつたら、世の中も住み悪くないかも知れぬ、と考へて僕は――。

宮崎君の好意に対して、僕、全く云ふ語が無い。頼む、願くは僕の居ない時君等から充分御礼をいふてくれ玉へ、自分から、口先で礼を云ふのは、何だか却つて此厚意を侮辱する様な気がする、考へても見てくれ玉へ、此度の上京は、実際、啄木一生の死活問題だ――君、泣く程の切ない心地は、僕が一人居る時、常に、過ぎる位味はうて居る、どうか、人の前、特に親しい君等の前では、啄木を、声の高い、口を大きく開いて笑ふ、よく女の話をする……と云ふた風の男にして置いてくれ玉へ、頼む、

君、僕は此度の上京の前途を、どうしても悲観する事が出来ぬ、若し失敗したらといふ事も考へては居るが、僕はどうしたものか、失敗する前に必ず成功(?)する様な気がする、

理屈もいらぬ、何派、彼派も要はない、只まつすぐらに創作だ、

野ロ雨情君も本月中に上京。一昨日逢つた、

与謝野氏の手紙、郁雨兄へ送つた、見玉へ、

明日の夜汽車で行かうと思ふ、

京子は大きくなつて居る、室の中を縦横無尽に走せ廻る、いろんな事を喋る。

矢張僕は一家の主人で人の子の父であつた。と思ふと頭がモ少し禿げてくれればよいと願ふ、

小樽日報半瓦解(ooo)、八頁が又もとの四頁、吉野君、当分断念がよからう、或は或時期の間休刊を余儀なくされるかも知れぬ、凡ての設備が半分位に縮少されたげな、そして今日まではまだ続けてゆくだけの金の見込がつかぬらしい、委細は逢つた時、

正さん、小樽へ来て『照葉狂言』を見つけて読んだよ、なつかしいの何のつて、何だか恁う、自分の稚ない時の事を書いたのではないかと思はれる位。

母と妻と子と、子にして夫にして而して父なる僕と四人、で行く、岩見沢の方の交渉、先以て上調だつた。

  十七日午後四時頃           啄木

 岩崎兄

 吉野兄

封ずるに当つて気がついた、随分断片的(ooo)な手紙をかいたものだ

 


※テキスト/石川啄木全集・第7巻(筑摩書房 昭和54年) 入力/新谷保人

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