二五七 四月十四日小樽より 宮崎大四郎宛


 

筆につくされぬ前置は以心伝心にて御諒察被下度候、

さて昨夜は午前四時までアノ儘に立つて居り、鷺の如く代る/〃\足をあげて居り侯ひしも、遂に一席を得る能はず、生活の軌道より逸出したる天外の惑星の身の上そゞろ悲しく、ストーブの消えたるを幸ひ、勇を鼓して土と石炭だらけの床に丸寝をいたし侯、(尾をスッカリ身に捲いて、)腰掛の下に足の林を見透したる光景は、然し乍ら一興に候ひき、目をさましたる時は車窓に朝日影あり、余市にて小便いたし候、八時少し過ぎて中央小樽駅に着、小樽の街と家屋と道ゆく人と、何れもサツパリなつかしくなし、

京子恥を含みて近かず、二時間にして漸くなつき侯、

母は昨日岩見沢より帰宅、アチラに居たうちに僕の手紙行つたさうだが、君、駄目だ、『一月二月置く事はどうでもよいが、せつ子と別れて居ては、東京へ呼ぶ時後に残されるから』といふ由に候、弱り候、乃ち一家鳩首の上母をも函館に、そして母一人前の生活費若干円宛を毎月岩見沢から送つて貰ふといふ事に内議を決し候、この外に途なく候故、何卒御諒察被下度候、(母とせつ子と京子三人で六畳間で沢山との事)

『どうも親類などは……』と例の反逆心を起し侯へども、――大気が違ふのだと解説致候、

  七、〇〇(三人汽車賃及び弁当代)

  三、〇〇(母の羽織など、うけて着なければ行けぬと云ふ質)

 約三、〇〇(夜具其他運賃)

  二、五〇(貸間料(本月分日割))

  一、五〇(炭一俵代、コレハどうしても立つ時払はねばならぬ由)

現在懐中十二円と若干なり、誠に済まぬけれど五、○○又々御願申上候

一日早ければ一日の利あり、御返事次第明日でも明後日でも立つ、室の都合によつては家族をば一二日谷地頭なるせつ子の叔母の家にとめて貰つてもよし、右の外沢田君から借りた米一斗いくらとかある由、此場合だから手を合せて後日まで待つて貰ふ事にでもすべきか、

みつ子(妹)の事、札幌の教会の牧師が世話にて東京の何とかいふアーメン先生へ嫁にゆく話八九分纏つたとの事、

老母の頭、二三ケ月のうちにも白いもの少し多くなつた様な気がする。君、感情といふものは強いものだ。そして、感情があるから人間といふものは弱いものだ。

  十四日午前十一時         啄木

 郁雨兄 机下

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母の所置の件よろしく御愊察被下度候。一日も早く小樽に別れさしてくれ給へ。野口君数日前に一寸来た由、矢張本月末に上京するとの事

 


※テキスト/石川啄木全集・第7巻(筑摩書房 昭和54年) 入力/新谷保人

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