二五四 三月十九日釧路より 沢田信太郎宛


 

昨夜高橋君の上意討に蓬ひ驚喜仕候、其後当方よりトンと御無沙汰仕、匆忙又勿忙、釧路は狭い丈けに小事故頻々として殆ど忙殺せられんと致候、妹共にも逢はざる事既に十日、但しこの度の御伝言だけは万障を繰合せても必ず伝へ可申侯、呵々。

新機械活字等二十二日入港の雲海丸にて着荷の筈に候へば遅くも四月十日頃より紙面拡張の運びと可相成、秘かに喜び居候。

偖家族共所置の件兄の御配慮多謝、多謝、小生も一日も早くと存じ居候へど、佐藤国司君の方で家をどうかして呉れねば、一軒の貸家さへなき当町の事とて、何とも致方なく、四月中旬頃までには必ず何とか出来る事と存居候、一方野辺地の父も呼び寄せねばならず、あれや、これや密かに焦慮罷在候、それ迄老母妻子の方は何分よろしく御世話被下度願上侯。

余は後便に譲る

  十九日の夜         啄木

 天峰大兄 侍史

当地新聞記者倶楽部を三千円の予算にて建築する事に決定致し候

 


※テキスト/石川啄木全集・第7巻(筑摩書房 昭和54年) 入力/新谷保人

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