二四九 二月二十五日釧路より 宮崎大四郎宛


 

兄よ、僕は今兄に対して誠に厚顔なる電報を打つて帰り来れり、兄は既にそれを落手せられたるならむ、而して僕の為めに此無理極る請を容れ玉ふならむ、

当地に二新聞あり、一は釧路新聞、一は北東新報、北東を如何にもして総選挙迄に根本的なる打撃を与へ、之を倒さゞるべからざる必要あり、主筆は鉄道操業視察隊に加りて途に上れり、僕は其上在中編輯局の全権と対北東運動とを委ねられたり、而して兄よ、僕の運動功を奏して、北東の記者横山、高橋、羽鳥の三人は今回同社を退社するに至れり、今日の如き、北東は午后四時に至りて漸く朝の新聞を出したり、痛快なり、次は工場の転覆なり、

サテ前記三人は前借其他の関係より断然社と関係を断つには五十金を要する也、大至急に要する也、僕は乃ち先刻の電報をうてり、主筆留守、事務長上京、外に途なき故なり、然れどもこの五十金は社長の帰釧(三月中旬遅くも下旬)と同時になんとかなる金也、予はこれをば必ず長くせずして兄に返済し得べしと信ず、

願くは我が顔を立てしめよ、

  二月二十五日夕          啄木拝

 郁雨兄 侍史

 


※テキスト/石川啄木全集・第7巻(筑摩書房 昭和54年) 入力/新谷保人

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