二四七 二月十七日釧路より 藤田武治、高田治作宛


 

昨夜当町釧路座に催したる慈善薩摩琵琶会の際、釧路北東両新聞記者合同し余興として芝居三幕演じ候小生就中上出来(ヽヽヽ)にて大に喝采を博し候、釧路は我儘の出来る所に御座候、

十日程前より、或必要のため毎夕浅酌低唱の境に出入致し、芸妓三人許り(oo)少し宛(ooo)(ホレ)られ申候、酒は小さい盃にて十位は飲める様に相成候、小生の方ではチツトも惚れ申さず候へど、そのため毎日宿酔の気味と急がしさの為め、先日のなつかしき御手紙に対し、返事申遅れ御申訳なく候、釧路の芸者はお客様を呼ぶにダンサンと申候、ダンサンは旦那様(ヽヽヽ)の少しヒネクレたのに御座候、

釧路は小樽より万事心地よく候、着釧早々種々調査いたし候ふに、将来随分面白ぎ事があるらしく候、殊に(いはん)や来るとすぐ『豆ランプ』といふ異吊をつけられ、何処へ行つてもモテルに於てをやに候、社の方より懇々の話もあり、茲に意を決して一二年釧路の人たる覚悟いたし、来月あたりは家族も当地へ呼びよせる事にいたし候、何でも人間は多少に上拘我儘の出来る所に居るに限るものと信じ候、一二年居れば小生でも自費出版の資金位は何とかなりさう(ヽヽヽヽヽヽヽ)に候、六十迄は生ぎる決心故、少しも急ぐ必要なしと、乃ち何とかなる(ヽヽヽヽヽ)迄居る事にいたし候ふ次第に候、

大に君等と論じたい事山々あるけれども、時計は既に一時、隣室の鼾声(かんせい)雷の如く耳に響き候間、それはお預りにいたし候、

三月下旬紙面拡張まではウント俗になつて釧路を研究し、然る後、専心創作に従ふつもりに候、

『北海道の人間』は益々面白くなり候、芸妓小静(コシヅ)は下町式のロマンチック趣味の女にて、鏡花の小説で逢つた様な女也、この下宿の主婦は体量三十貫もありさうな珍無類の肥大婦人にて、鹿角(かづの)弁マル出しに御座候、それから古川某といふ男あり、話をする時舌をペロ/\と出し候、

『若い時は二度ない』と芸妓小静が歌ひ申候、これ真理なり、両君、釧路に逃げて来られては如何に候や、来たなら必ず(クチ)は見つけてあげる、若い時は二度ないと芸者小静がうたひ申候、草々頓首

  二月十七日夜            啄木

 武治君

 紅花君 侍史

 


※テキスト/石川啄木全集・第7巻(筑摩書房 昭和54年) 入力/新谷保人

1