二四二 一月三十日釧路より 沢田信太郎宛


 

アノ事は(どう)も心配でならず、御経過如何に候哉。何卒御知らせ下され度願上候。

それから留守宅の方いろ/\御配慮下され候由奉鳴謝候、何分よろしく願上候。帯広には寄らずに二十一日夜九時半当地着。二十三日表記の下宿に入り候。二階の八畳に火鉢一つでは零度以下の寒さとても凌がれず、下宿の主婦に談判して、炬燵をつけることに致し候へど、大工の都合で二三日延び候ため、アンカを買つて来て机の下に入れ、やうやく筆の氷るのを防ぎ居り侯。

社は新築の煉瓦造にて心地よし、二日に新築祝ひを盛大にやる筈にて、小生は新案の福引百五十本許り工夫いたし侯。

機械来ぬ中は現在のまゝで時々六頁出すことに致し候。紙面の体裁を改めた所、少し評判よし。釧路は気持のよい処、但し寒いのが欠点なり。遙かに阿寒山を望み候景色もよく候。白石社長は五日頃上京の途につく筈。奥村、金子、鯉江三人の所置を一任してくれと云ふ手紙、谷から社長にまゐり候。奥村君だけは是非喰ひ止めて頂きたく候。最もイザとなれば、一応帯広の支杜に置く事だけは社長の同意を得たり。如何。至急返事まつ。「タニヨリジムノコトシツモンサレタ、コタヘルギムアルカ《と云ふ電信昨日小林より社長にまゐり候。但し社長は昨日朝帯広に行き候故未だ見ず。明日は帰へるならむ。奥村君の番地知らして下さい。何卒よろしく。おひまの時何か書いて下さいませんか。

  一月三十日

              釧路港洲崎町一丁目関方 石川啄木

 小樽区花園町畑十四 沢田天峰様

 


※テキスト/石川啄木全集・第7巻(筑摩書房 昭和54年) 入力/新谷保人

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