二三七 一月十九日小樽より 大島経男宛


 

御無音の罪は平に御宥免下され度候、過日御ハガキ落手致候時は、久し振の御たより嬉しく/\拝見致候ひしが、私事旧臘師走中頃日報社の方は大我儘を振舞ひて首尾よく退社、我乍ら小気味よく存じ候ひしも、其為め一文なしの正月を迎へ、賀状さへ差上げざりし次第に候、上悪思召下され度候、北海の天地は、どこまでも小説だらけの天地に侯、然処、日報の白石社長より種々交渉あり、同氏の所有なる釧路新聞と申す小新聞、今度普通の新聞とし、総選挙までに六頁にするとの事にて、其大拡張の第一歩として小生に入社し壮んにやつて見てくれとの話あり、田舎は余り感心せず候へども、辞しかねて遂に承諾、家族は当地に残して小生単身、明十九日午前九時小樽発、帯広その他の必要なる場所を一巡して行く事になり候、白石氏と同行に御座候、白石氏は或意味に於て小生などの師事して恥かしからぬ人格と識見とを有し居、仲々痛快な老紳士に御座候、委細は釧路より申上ぐべく候、今後は釧路国釧路新聞社宛に時々御消息御洩し被下度願上候、草々、

  四十一年一月十九日夕

            小樽区花園町畑十四番地 石川啄木

 大島経男様

 


※テキスト/石川啄木全集・第7巻(筑摩書房 昭和54年) 入力/新谷保人

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