二二九 十二月二十六日小樽より 沢田信太郎宛


 

昨夜は御粗末、失礼、

釧路新聞を理想の新聞とする方針として、熟考の結果左の案を得たり。

一、現在の主筆は主筆でよし、

二、奥村君、吉野君を各二十五円にて入れること、

三、外に二十円の三面の人一吊入れる事、(小生に心当あり)

四、初めに小生に総編輯をやらして貰ひたし、準備つき次第二面を独立して奥村吉野二君交る/\之を主宰する事、

五、第五面は三面の二君中非番の人之を編輯す、

六、一面は同人一同の舞台、

    以上

右の愚見にして実行せらるれば、編輯局中に一種の共和政治行はる、人数は財政の都合により前記の人頭にても、六頁出せぬ事なし、従来の人は従来の儘にて構はず、奥村、吉野二君共に為すあるの人にして、然かも其人物性行大いに吾人の意を得たり、且つ共に或る野心を有する人なるが故に之を二面の活舞台に於て、充分土地の活人物に接せしむる事大いに好からむ。

奥村君を日報社より抜く事は大兄に於て大いに異議の存する所ならんと雖も、これは天道に悖るものと云ふべし、何故なれば、好漢奥村の如ぎ庸俗佐田の如きものゝ下に置くは有為の人間を侮辱するものにして、奥村自身も快とせざるべく、大兄亦其非理を知らむ。小生の如きは天下の大上平なり

釧路の地は白石先生が根拠地なり

然して裡面に於ては、日報既に大兄のあるあり、大兄さへあれば天下太平と称して可ならむ。奥村よし去ると雖も天下の逸才を抜擢し来つて之を手足の如く用うる事大兄の胸中成算なしとは云はさぬ。

若し右の意見にして全部実行せられうるものとすれば、小生は三年でも五年でも釧路に尻を落付けて太平洋の潮声を共とせん

  二十六日                  啄木

 天峰大兄

 


※テキスト/石川啄木全集・第7巻(筑摩書房 昭和54年) 入力/新谷保人

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