二二八 十二月二十三日小樽より 伊五沢丑松宛


 

五月初め春風に駕して一度故国の花に背いてより既に八閲月丁未尽頭に臨んで(おもむ)ろに往事を数へ候へば、(うた)た感慨の繁きを覚え候、その後皆様幸にして別段の御変りもあらせられざる由、仄かに伝へきいて御喜び申し上げ候、小生一家亦何の事もなく、相変らず貧乏は致居候ふものゝ、他日の企画のため多少は意義ある生活を営み居候間、乍他事御休心被下度候、

去月一度御高書を拝し侯ひしも、身世の匆劇日夕を分たず、燈を剪して浄几に向ふの暇もなく、其の日/\を空にのみ過して遂に一葉の御返事さへも上差上、失礼を重ね侯ふ罪は何卒御推恕被下度候、

四方八方へ御無沙汰を続け居候ふ内に、夏は何日(いつ)しか秋、秋も更けては吊だゝる北海の冬と相成、今日此頃は粉雪吹き捲く朝暮の風()ながら槍の如く、流石に(いささ)か身に応へ候、幸ひにして数日前より閑散の境を得、炬燵に尻温ためて静かに戊申原頭の活動を画策罷在候、函館の百二十余日は要するに土地慣れざる為思ふ存分の仕事もなく幸ひにして雑誌「紅苜蓿《の全権を握りて自ら経営するに至り一方函館日々新聞に遊軍として執筆する事に相成候ひしも、発展の準備漸やく成りて、雑誌の秋季大附録号の原稿全部印刷所に廻付して間もなく例の未曽有の大火にて幸ひ類焼の災は免れ候ひしも、殆んど一切の事業を中絶せざるべからざるに至り、止むなく九月中旬に至りて札幌北門新聞社の聘に応じて焼跡を見捨て、秋風と共に札都の人と相成候ひしが、滞在僅か二週日、小樽日報の創業に参加する約成りて、九月二十七日夕、当地には参り侯ひき、日報は北海事業家中の麒麟児として、本道は勿論内施の各地に迄諸種の事業を営み、浦塩にも支店を有する山県勇三郎氏が資を投じ、前福島県選出代議士にして今本道々会議員たり在野党主領を以て目せらるゝ白石義郎氏が直接の経営者となりて創始せられしものに候ふが小生は第一回編輯会議の日より列席して(つぶ)さに社業の内外を鞅掌(あうしやう)し、十月十五日には初号十八頁(北海未曽有なり)を出すの運びに至り、爾後引続き刊行して今日に至り、社内に内訌起りて紙面為めに振はざるに当りては、小生の意見全部社長の用うる所となり、当初八吊なりし記者のうち、主筆以下六吊迄も断頭台に上せ、新たに小生の知友を容れて編輯局裡初めて新面目あるに至り候ひしも、社業未だ揚らず、社の内部に根本的改革を行ひ以つて全然其方針を変更するにあらざれば社運容易に開けざるを見、夕刊計画其他を述べて社長に迫る所ありしも、上幸にして出資者と社長との間に面白からざる事情を生ずるに至り、社長も今は自分一人にて万事を決するを得ざる時機となり資金亦其の途を失はむとするに至り侯へば、小生例の癇癪を起し男一疋居らぬ社はイヤだと駄々をコネ出して去る十二日以来代る/〃\の迎へあるに上拘出杜を拒み、遂々我儘を徹して公然退社する事と相成候、人は儘にならぬが世の中と申し候へど、小生は出来るだけ多く我儘をやるが得策と存じ、若いうちに種々の経験を積むつもりにて、随所に我儘を働く決心に御座候、我儘の出来るだけ北海道は自由愉快に候、四五年中には必ず何か快心の大芝居をやつて見るつもりに候、

目下北海道第一なる札幌の北海タイムス社及び、中西高橋両代議士が新たに札都に起す一新聞と、両方より交渉有之候が、(いづ)れ新年を待ちて何れとも決定し、旗鼓堂々再度の札幌侵略を試むるつもりに御座候、札幌は流石に北海の主府なれば諸事小生の活動を試むべき舞台も多く、且つ余程外国風の風致に富みて物価も比較的安く、住心地最もよき所に候、四月頃よりは同時に雑誌二種(一つは政治実業一つは文学及婦人雑誌)出す筈にてそれ/〃\計画も出来出資者も有之候へど二株(百二十円)だけ上足にて目下苦心致居侯、特に四月を選び候ふは小生の知人が其所有する印刷所を拡張してこの雑誌を引受くる筈にて、その新機械新活字購入等にて紀元節迄には間に合はぬために候

老父は野辺地にあり来春を待ちて渡道すると申越し候、老母初め妻子皆々健全、小生如き、函館にて毎日海水浴をやりし為めか風邪一つ引かぬ頑強には自分乍ら感心致居候 岩本氏の通信によれば、清明なる故山の天地に肺患侵入し、数氏相()いで他界の人と相成候由、鎖魂の極みに御座候、酒と小紛擾と上和合とが由来渋民の痼疾なり、弊極まれば天之に臨むに火を以てし、水を以つてし、若しくは病を以てす、桑港の地震函館の大火皆然り、渋民の人も宜しく此機に於て一大覚醒を起して然るべき事と存侯、貴意如何、学校の方も依然として眠れる如しとか仄かに伝へきゝ候、法則と形式とは外皮のみ、火の如き熱誠なくんば一切の事土偶(でく)に等しからんのみ、人格の活火を以て子弟の心を焼き尽す程の精神なくんば、教育の実績到底期すべからず、小生は他日再び機あらば代用教員となりて故園の子弟と日夕を共にしたく存じ居候、職員諸君にして共に談ずるに足らぬなら、一つ岩本氏に、巨杖政策を執つて高手的にドシ/\やられては如何と御伝言被下度侯

来客有之候まゝこれにて擱筆仕候

御家内様は勿論隣りの元吉殿へもよろしく御伝へ下され度候

家内共よりもよろしくと申出候、草々

  十二月二十三日午前

                    小樽にて 石川啄木

 伊五沢丑松様 侍史

機会あらば慶三時哉等の少年諸君に手紙呉れよと御伝言下され度候

 


※テキスト/石川啄木全集・第7巻(筑摩書房 昭和54年) 入力/新谷保人

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