二二六 十二月九日小樽より 向井永太郎宛


 

先日はなつかしき御手紙拝見、札幌と札幌の人々が恋しくてたまらず候、この二三日は去る六日夜の大時化の記事にて忙殺され居候が、船が流されたの沈んだのとは余り景気のよい話にも無御座候、主軍を白兵戦場に送つて以来断頭台に上るもの合せて五吊、小生の意見すべて行はれ候ふ事とて痛快、編輯長には沢田天峰兄を入れ申候、実はそれやこれやにて随分ツマラヌ急しさに席暖かならざる憾有之候、然し新聞記者なる職業は決して吾党の喜ぶべきものには無之候、油断すれば死んで了ふ気味有之候、日報社にありて小生のなすべぎ事は既になし了れり、今後の発展には自ら其人あるべくと存じ、何とかして札幌にまゐり度存居候、但しこれは秘密なり、遠からず出札してお目にかゝるべく候、尚田中の久子様の事母堂に御約束の学校の方目下区内に一人もアキなし、何れ出札の上ゆる/\御世話致すべしと御伝へ被下度候、

奥様アヤちやんへよろしく

  十二月九日夜

          小樽花園町畑十四 石川啄木拝

 向井永太郎様

 


※テキスト/石川啄木全集・第7巻(筑摩書房 昭和54年) 入力/新谷保人

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