二一七 十月十四日小樽より 岩崎正宛


 

本日社にてなつかしともなつかしき兄の詩信に接し、三誦其深沈一味の愁調に心浄まるを覚え候、サテ兄は先づ御無事なる如し、賀々、

先日吉野兄釧路行の一件水泡に帰し、間もなく財産差押の報あり、驚愕為す所を知らず、出来うべきだけはと自分も歩き人にも頼み候ひしも、兎角金の事には天祐なき小生也、社の方も数日前一家を借りて移転した際畳建具買ひし其他のため前借の道ふさがり居り、苦心中、社の為め、一大決心をなす必要ありて札幌にゆきなどする程に一週間は過ぎ申候、如何になりし事にやと心配でたまらず何卒兄より至急御知らせ下され度侯、吉野兄へは気の毒で/\何といってやってよいやら、よろしく願上候、

サテ兄よ、小生が社に於る位置は目下何人も及ばず、白石社長は殆んど意外な位信用してくれ、小生の意見は直ちに実行さるゝといふ様に相成候、御安心被下度候、去る日曜日突然沢田兄の来訪に接し会議半日にして心に決する処あり共に札幌にゆき翌日かへりしが、本日社長来樽、万事決定、吾党の士は刃に血ぬらずして大勝利を得たり 乃ち沢田兄は我が社二面の編輯長となる事になり(但し、当分は三十五円……一ヶ月かニケ月の間)今夕電報を以て来任を促しやれり、現主筆以下四吊は明日お免(ヽヽ)の宣告を受くべく、沢田兄来る迄は僕が総編輯 外に外交唯二人でやる筈、天下の大勢既に我が手中に入れり、小樽日報の死活は沢田兄と小生と二人の手心のみ、兎も角もこれ近来の吉報なるべし、今迄なぜ兄らに新聞を送らざりしか 答へて曰く、今迄の新聞は現主筆の方寸によつて作られたるものにて、恥かしくて人に見せられぬためなり、遠からず第二次注文のキカイ及び活字着次第六頁とし大改革をなす故その後は毎日送るべく候、尚六頁になれば、其二頁だけを市中だけに夕刊として発行する計画なり 市中の読者は日に二度づつ新事件の報道をうる訳なり 何と面白からずや 兎に角小生は今一日中殆んど一時間も暇なき迄種々なる活動をなしつつあり

右上取敢兄の義兄の件御報道迄

  十四日夜十二時              啄木

 正兄

  母上様姉上様こうちやん外皆様へよろしく

 


※テキスト/石川啄木全集・第7巻(筑摩書房 昭和54年) 入力/新谷保人

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