二〇一 八月二十九日函館より 宮崎大四郎宛


 

つかひ残りの巻紙三尺五寸見出したから此手紙をかく 廿九日夜半 啄木

 郁雨大兄 御侍史

サテ君よ、廿五日の夜の十時少し過ぎ、烈しい山背の風が一本のマツチから起つた火を煽り煽つてとう/\六時間のうちに函館五分ノ四、戸数一万五千をペロリと焼いて、そして何処かへ行つてしまつた。出火は君の家の近所(君の家は無事)函館目抜の町と役所と学校を皆舐めて山背泊まで駆足で行つたのだ、僕火事最中盆踊をやつて士気を鼓舞したため辛うじて焼けずに済み、吉野君岩崎君丸谷君も無事、並木君はやけた、詳しい通信は別に其人がある事と思ふから、敗軍の将たる僕は僕の思ふ事だけをかく

函館は死んだのだと僕は思ふ、八年や十年で恢復は出来ぬ、君の記憶にある函館は、かのバビロンの都城一夜に地上から消えたと同じに矢張一夜にして世界の外へ焼き飛ばされたのだ

紅苜蓿は函館と運命を共にして遂に羽化昇天した、実際函館に於ける我らの企画はモハヤ一分一厘の希望をもあまさず

区民の一割は既に小樽及び内地に向つて尻に帆かけたよ、小樽は益々全盛! 君は一番残念がられる事と思ふ、僕も残念だ、

然し火事は愉快であつた、生れてからあれだけの大芝居を見た事がない、雲も狂ひ風も狂ひ火も狂ひ人も狂ひ巡査も狂ひ犬も狂ひ……狂へる雲の[上]には多分狂へる神が狂へる下界の物音に浮気を起して舞踏して居たであらう、僕が家内の狼狽を鎮めた盆踊も或は狂かもしれぬ、然し僕だけは確かに何人よりも沈着であつたよ、火は函館に根本的革命を齎らしたのだね、

雑誌八号の原稿、函毎にあつてまだ印刷に取かゝらなかつたのが全部天国に上れり

向井君道庁からの出張で一昨日来た同じ日松岡君も来た、本年中に残党一同札幌にゆく事に決した、願くは君も余り残念がらずに同情してくれ玉へ、そして君も除隊になったら出来うべくんば札幌に居る様にしてくれ玉へ、向井君は明後日僕及び松岡君の履歴書を持つて帰札する筈、白村白鯨両兄共本年中にゆく筈、松岡君は上取敢両三日中に小樽の知人へ身を寄せる筈、札幌で来年一月迄に必ず再挙を企てる決心、敗軍の将啄木の心事を諒とし玉へ、

僕は多分九月中にはゆけるかと思ふ、

何しろ学校の方はドーセ二部教授になるのだから代用はお免にきまつてるし、去る十八日から当分秘密で日々新聞へ行つて月曜文壇を起したりしてゐたが、それもやけた、米屋も炭屋も何もかもやけて通帳全部キカナクなり物価騰貴、焼けぬお蔭で万事恩典に預からぬし、尻に帆かける外になし兮、煙草もロクに飲めぬよ、然しやけた人は可哀相だ、実に可哀相だ

焼跡は淋しい。今日君の社友二吊紹介のハガキ見て何とも云へぬ気がした、君が居てくれたらと思ふ、君の写真アノ写真ハサミヘハサンデ柱にかけ京ちやんに毎日オヂサンは何処といつて指ざさして遊んでるよ、

札幌では大にやり出す決心!

然しコッチの事は心配し給ふな、大丈夫だよ、可成早く帰つてくれ給へ、君、

                       紙つきた

 


※テキスト/石川啄木全集・第7巻(筑摩書房 昭和54年) 入力/新谷保人

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