一九六 七月二十四日函館より 大島経男宛


 

啓。

昨日は失礼仕候。実は突然の御話しにて、貧小なる小生の頭脳余程混雑致し、如何様の事申上げしやら今になりて思浮ばず、唯、御交誼をえて以来未だ三閲月に満たざるに、早く既にお別れせねばならぬ事の、何ぼう口惜しく情なく、それのみ心の裡に刻みて、辞し候ひしが、途すがら上図例の鶴の如く首延したる安並に逢ひ侯ひしが縁にて、頭の中急にハツキリ致し、御話の事々明らかに思ひめぐらし申候。

あの時も然申上げしやう幽かに記憶致居候が、此度のお別れ、我等社中の者並びに学校の生徒達にとりては、誠に容易ならぬ搊失とも可申、船の中央の(ほばしら)折れ候ふとやうに悲しく候へど、()て老兄の御上に考へ候へば、これ実に世に第一の御幸福、さしあたり何と申上ぐべき言葉もなく候へど、御一生の最も大切なる時を御捉へ被遊候御事と、かゝる風情の身の烏滸がましき言草ながら、心より御祝申上候。実の所白状致し候へば、必ずかくある時のなからでやはと、常々思ひ居候ひし処に御座候、予言者ぶりてなど申すには更々無御座候。今、深き大いなる人生が、目のあたり、赤裸々に、我が前に踊り出てたりと様にて、何かは知らず御二方の前に跼づきたき様の心地致候。

未だお吊前知りまつらぬ君のためにも、心より御祝申上候。

さて又此度の御進退の一々、深く我らをして学ばしむる処と存候。高草の日高の国、蓋しくは御手をまちて初めて苅らるべき草の沢にあらむ。これを思へば、我等この塵巷に生を托すの徒、云ひ様もなく羨ましく存じ候。

昨夜白村白鯨二兄を会して様々物語りなど致し候。今日四時前後に打揃ひ御訪ね可致候間、後日の思出のため写真にても撮り置度、何卒御許し下され度候。

  七月二十四日               啄木拝

 大島先生 御侍史

二白。昨日お話下されし小生糊口の方の件、諸兄にも相談致候処、それなら是非との事に候。理屈はアトにして、何れ午後拝顔の折改めてお願致考へに御座候。何卒よろしく願上候。拝借の御本、永々誠に難有御礼申上候。

 


※テキスト/石川啄木全集・第7巻(筑摩書房 昭和54年) 入力/新谷保人

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