紅筆便り
 
石川 啄木
 
 
 
 
 前代未聞の大吹雪は粋界にも吹き荒み候ふ様にて八日以来はどの家の玄関にも履物少なく従つて格別の材料もなしとの事に候ふが何処へ行つても吹雪の噂許りの所へ平気の平左で閑事実の御註進も気がきかずと今日は取急ぎ琴ちやんの機転といふ話を御報知申上げまゐらせ候▲去る十日夜の事九時過ぎて四人連のお客が山の上は鶤寅亭へと繰込み遊ばされ候ひしが折悪く紅裙隊悉々(ことごと)戦場に在りて女中が代り/\の挨拶もさしたる興を添へず茲に一行中の年上なる疎髯の君琴ちやんを捉へて是非共すゞめを呼べとの厳しき御諚に困るだらうと思ひの外琴は早速ハイと許り身軽く立ちて座敷を出しが間もなく一双の屏風を持ち来りたるを何事ぞと一座の人々怪しむ間もなくパツと開いて「御意に従つてすゞめさんをお伴れ申しました」と両手をつく風情、見れば二枚折の屏風一面に幾百羽の群雀、羽音揃へて飛びも抜けんず画のさま燈火に映えて鮮かなれば拍手喝采暫しは鳴もやまず平生温順しき琴が機転に気むづかしき疎髯の君も大笑ひ致されたりとの事に候▲花吉姐さんには近頃また/\某蕎麦屋の奥座敷にて楽隊復習中との噂あり茂尻矢の二の舞をせねばよいがと御心配最中の人もありとの事に候▲近頃粋界に金色夜叉事件なる新事実ありとの事に候ふが何の事やら未だ判明いたさず候、かしこ。
 
 
(釧路新聞 明治四十一年三月十四日)

 

  底本:石川啄木全集 第8巻
    筑摩書房
    1979(昭和54)年1月30日初版
 

  入力:新谷保人
  2006年3月14日公開