大風雪被害続聞
 
石川 啄木
 
 
 
 
▲潰倒家屋数 去る八日の大風雪被害に関しては其後未だ天候恢復せず、各地との連絡杜絶され居る事とて支庁の如きにも殆んど何等の報告なき有様なれば未だ郡部の被害状況を詳報する能はざれども、本日までに分明したる分は、潰倒家屋釧路町役場管内に九戸、昆布森に十一戸(外に半潰一戸)、計二十戸、外に浜中村字奔幌戸貰人にて全潰五戸、厚岸町よりは潰家多数との電報ありしが其後何等の詳報なく、跡永賀仙鳳趾等各部落の損害亦交通不可能の為知るを得ざるも、釧路支庁管内にて破壊家屋優に五十戸に上りたるならむとの説信を置くに足るものゝ如し。
▲惨死人員 同上の理由にて之亦詳細を知るに由なきも町役場管内にて十九名、昆布森村にて十八名計三十七名、外に浜中村に五名、厚岸に約六名ありとの電報あれど其他不明、支庁管内全部の惨死者七八十名に達したるものゝ如し、負傷者人員亦今日に於て到底詳報を伝ふる能はず。
▲母子枕を列べて死す 釧路村字オコツナイ四番地平民白崎彦蔵(六三)方にて家屋潰倒と同時に失火し、彦蔵及び妻カセ(五二)、長女ミキ(一二)の三人黒焦になりて惨死を遂げたる旨は不取敢一昨紙に報じ置きしが、其後聞く所によれば同家の潰倒したるは夜半十二時頃なりし由にて、当時老母カセ及び娘ミキは同じ衾に枕を列べて眠り居たるに突然棟木倒れ落ちて夜具の上より圧し抜出ることも叶はず、藻掻き居るうちに炉辺より起これる火焔忽ち四周に拡り老母と娘は抱き合ひたる儘無惨にも焼死するに至りたるものゝ由。此ミキと云ふは当町小学校の生徒なりとの説あれども何れの小学校なるや詳かならず。
▲殊勝なる漁夫 春採二十二番地平民漁夫吉川清太郎と云ふは体格飽く迄頑強雲を突く許りの大男なるが、大風雪当日は早朝より結束して付近を警戒し廻り、雪中に手足の自由を失ひ居たるものを男女二三人も助けたるのみならず、前紙に詳報したる鬼呼(おにつぶ)の惨劇の際は狂ひに狂ふ暴風乱雪を冒して真先に駆けつけ発掘救助に尽力し、且つ十七番地谷崎福蔵方潰倒するや、圧死を遂げたる小児菊太郎(八)を発掘して後足部胸部等に負傷し居る福蔵及び内縁の妻ヤエを自宅に担ぎ来りて家人に看護せしめたりとの事にて、鬼をも犇(ひし)ぐ面構(つらがまへ)に似合ぬ心根の優しさ殊勝の事共なりと近隣にても噂し居るなるが、昨紙に記したる如く同夜記者は第三学校に一泊し翌九日午前七時頃起床して顔を洗ひ居る所へ此吉川なる人入り来り、茲に初めて鬼呼に惨事ありし事を聞くを得たる次第なりし。
 
 
(釧路新聞 明治四十一年三月十三日)

 

  底本:石川啄木全集 第8巻
    筑摩書房
    1979(昭和54)年1月30日初版
 

  入力:新谷保人
  2006年3月13日公開