空前の大風雪
 
石川 啄木
 
 
 
 
    終日往来絶ゆ
    潰倒家屋数戸
    惨死者数十名
 
 去る七日夜十一時頃より飛雪紛々として降る。翌八日午前二時に至りて北東の烈風雪を捲いて到り天地晦瞑唯巨獣の咆哮するが如き暴風雪の怒号を聞く。夜明けて風威毫も衰へず、窓外の乱雪濠々として全く咫尺を弁ぜず、家々皆戸を開く能はずして黄昏の如き薄暗の屋内炉を携して始んど隻語を発する者なし。市中の往来杜絶する事終日に亘り水尽くれども汲む事能はず。魚菜空しうして又求むるに由なし。午後三時頃に至り風位更に北西に変じて一段の狂暴を加へ来り、瓦を剥ぎ街路を埋め人を斃し家を倒して夜に入り、一昨九日午前二時に至りて風勢漸く衰へ降雪亦稀なり夜明けて戸外の雪を排し天日の光を仰いで初めて蘇生の思あり。街上積雪庇よりも高く屋内亦風と共に戸隙より入れる雪尺に達するもの珍らしからず。潰倒家屋数戸、圧死者数十名、前後二十四時間に亘れる三月八日の暴風雪や実に空前の大惨禍たりき。
 一昨九日街路漸く通行し得るに至るや、本社は早朝直ちに数名の社員を結束せしめ各方面に急派して此空前の風雪の被害を踏査せしむ。社員皆腿を没する堅雪を破つて探求具(つぶ)さに烈寒と戦ひ午後三時に至りて漸く帰り来る。然も不幸にして前日の風雪の為本社工場内亦窓戸を破つて吹き入れる雪の為に惨状あり。石油発動機其他に故障を生じて印刷する能はず。遂に昨朝の本紙を休刊するに至れるは本社の誠に遺憾とする所、今乃ち諸方の報告を綜合して左に概況を報ぜんとす。
 
▲鬼呼(おにつぶ)の惨劇
     潰家三戸死者六名
 釧路村大字春採小字鬼呼は前面海に臨み背後直ちに数丈の断崖を負へる事とて、崖上の雪烈風と共に崩れ来りて最も危険を極め遂に家屋三棟を潰倒し、見るも涙なる無惨の死者六名を出すに至りたるが、今逐次其状況を伝へんに先づ八日
 ▲午後三時頃 に至るや春採十七番地なる漁夫平民谷崎福蔵(三八)方の家屋ミリミリと云ふ凄まじき音響と共に潰倒し、福蔵内縁の妻渡島国茅部郡鹿部村字本別生れ高橋ヤエ(三五)の私生児菊太郎(八)は遂に梁木に圧せられて即死し、福蔵ヤエの二名は胸部足部等数ヶ所に負傷して辛うじて這ひ出で昨日遂に釧路病院に入院したる由なるが、福蔵の涙乍らに語る所に依れば、潰倒当時同人及びヤエの二人は炉辺に居り、死亡したる菊太郎のみ隣室にありて遊び居たるに、前記の如く凄まじき響と共にアッと云ふ間もなく家屋前面に倒れたるものの由。死児の屍躰は表入口に近き所にありて背部に大なる打撲傷を負ひ両手を胸の辺に組み合せ居りしと云ふが、更に
 ▲午後三時半 に至りて同上十九番地漁夫川上八百吉方の家屋を潰倒し同人妻ミツ(五八)、孫コマ(一二)、同健吉(八)の三人を死せしめたるが、今聞く処によれば同家は家族六人なるも八百吉の長男某夫婦は夏時は家に居て漁業に従事し冬期は某炭山に出稼し、以て辛くも生計を立て居る由にて、戸主八百古は既に六十以上の老人なり。目下も長男夫婦は豊島氏の牧場に稼ぎ居りて家に居らず、前記老夫婦と孫児二名の四人佗しき生活をなし居たるものなるが、午後三時半頃四人炉辺に団欒して食事中突然屋根潰れ来り、八百吉老人のみは幸ひ雪を潜りて逃れ出でたるも、老女は十字形の棟木に撃たれて炉中に倒れ腹部両手顔面等に火傷し二目と見られぬ状にて、半白の頭髪に鮮血の滲める死様殆んど面を上げて見る能はず。健吉は横臥したる儘にて全身氷り居り、コマは十二の花蕾の少女髪にかけたる手柄の紅も可憐なるに膝を揃へて座れるまゝ畳の上に伏臥して楓の如き両の手を美しの顔にあてゝ事切れ居たる由にて、本社記者衣川子一昨朝現場臨見したる時は其屍躰の上に荒蓆一枚掩ひありたれど風の吹く度に其蓆の端ハタ/\と動いて何とはなく死したるものと覚えず、蓆を捲きて一目見るや落涙?々として止めもあへざりし由。牧場にある長男夫婦の許には直ちに急便を派して此旨を通知したる由なるが、夫婦の嘆きや如何ならん思ひやるだに憐れなる事共なり。斯くて更に、
 ▲午後七時頃 に充り同上十八番地平民漁夫伊達藤次郎方を潰倒せしむるに至りたるが、同家は戸主藤次郎妻ナツの外に二男利藤(九)、三男常古(六)、四男正雄(一月生)の五人暮なるが、潰倒の際藤次郎だけ隙を見て戸外に遁れ出でたりしが、直ちに近隣の人を呼びて掘出しに着手したるに、妻のナツ及び三男の常吉の二人は積み重ねたる布団の傍らにありしため落し来れる棟木に撃たれず、微傷をも負ざりし由なれど、利藤正雄の二人の幼児は敢(はか)なくも不帰の客となりて玉の如く健かに肥れる骸既に呼吸絶え居りし由。
 
▲知人(しりと)の恨事
    潰家一戸死者一名
 鬼呼に於ける二幼児の惨死と殆んど同時刻乃ち八日午後七時頃、釧路村字知人七番地なる渡嶋国山城郡八重村字プリタウシ生れの農業戸主佐藤ツマ方の住家亦一陣の烈風と共に落し来れる崖上の雪の為に倒され、一家八人雪中に埋れしも近隣の人々直に掘出し呉れたる為七人は多少の負傷を受けたるのみにて生命に別条なかりしが、戸主ツマの孫力造(六)といふまだ東西も解かぬ幼児一人のみは倒れ来る柱に撃たれて火勢熾なる炉中に転げ込み、為に腰より下は焼落て白骨のみとなれる様惨鼻とも何とも云様なく外に口唇の辺よりも出血し居たる由。
 以上七名の死者は何れも井上巡査部長検視の上関係人に引渡されたり。
 
▲桂恋(かつらこひ)方面状報
    オコツナイより毘砂門(びしやもん)迄
    潰倒家屋五、死者十二人
 桂恋村方面の被害に関しては一昨朝来巷説紛々たるものあり。本社は特に一名の社員をして同方面の状報を得るに当らしめ置きしが、今其等の報告と昨日午後二時帰署したる池野警部一行の談話とを綜合して概略を報ぜんに、
 ▲オコツナイ には潰家二戸死者六名あり。一は同部落二番地平民漁夫中川仁太郎方にて、戸主の仁太郎は折柄当町に所用ありて来り居たる為不在なりしが、八日午後五時頃雪崩の為に潰れ、仁太郎妻ツネ(四四)、長男弥平(二七)、孫長男幸次(八)、同二男作太郎(六)外に同居人にしてサヌシと呼び居たる旧土人一名(七〇以上)及び雇人旧土人エボコ正太郎(一六)の六名アと云ふ間もなく圧死を遂げたるが、弥平の奏スヱ(二六)と小児一名は僥倖にも微傷だも負はずして助かりたりと。猶一戸は同地四番地平民漁業田中栄六(六九)方なるが之も崖下の事とて雪崩に倒され全く雪の下に隠れて屋根も見えぬ程なりし故、適切(てつきり)全家悉く死したる者に思ひ、一昨日午後四時頃池野警部の一行は人夫を督して掘出たるに不思議や不思議、雪中七尺の下に一家五人皆傷だも負はで生存し居りし由にて、掘出したる者の驚き掘出されたる者の喜び譬へん由もなく、同家の主婦某は大吹雪の日の朝早く魚類を売らむと当町に来りし儘帰る能はざりしが、家に残れる五人何れも雪中より無事掘出されたるを見るや雪上に平座して警部の一行を伏拝み、嬉しさ喜ばしさに涙は滝の如かりしと云ふが、誠に左(さ)もあるべき事共なり。
 ▲オソツナイ 釧路村字オソツナイ四番地平民白崎彦蔵(六三)と云ふ貧漁夫の住家亦潰倒し同時に火を失して、前記彦歳妻カセ(五二)、長女ミキ(三)の一家三人悉く黒焦になりて死亡し居たる由。
 ▲伏古潭(ふしこたん) 釧路町内桂恋村字伏古潭二番地平民漁夫伊藤粂次郎家屋も八日夜中に潰れたるが、一家皆遁れ出でたるも長男某の妻カノが背負居たる本年一月生れのハツヱのみ倒れ来る板戸に打たれて死亡したり。
 ▲毘砂門(びしやもん) 番地不詳鈴木某の家潰倒と共に之も失火して、七十位の老人六十位の老婆の二人手足焼落て死し居れる由なるも、姓名詳かならず近隣の者の話によれば当町浦見町の田口清吉なる人の親類なりとの事なり。
 
▲交通及び通信杜絶
 ▲鉄道 全道鉄道の被害は本稿を草する迄には詳報を得る能はざりしが、昨日迄殆んど運転中止の状態なりし △八日釧路発一番列車は乗客三十五名を乗せ(中に松方支庁長及び梶持原二課長あり)厚内駅に立往生。昨十日午前十一時漸く浦幌に向け発車したる由 △八日帯広発一番は約五十名の乗客を載せて豊頃駅に止り翌九日炊出欠乏の為辛うじて池田駅まで引返したる由 △各駅より人夫を出して九日朝より線路の除雪に着手したるが釧路駅よりも九十両日間に三百三十名の人夫を出発せしめたり △帯広より先方は殆んど知るを得ざるも九日旭川発一番は落合駅より引返したりとの噂あり △本日の一番より復旧の見込。
 ▲郵便 根室厚岸網走各方面の郵便物は四五日前より汽車便は八日より不着 △昨十日午前九時十分釧路局は根室網走両方面に向け特別配達夫を出発せしめたり。
 ▲電信 昨日札幌までは何の故障なかりしも内地への聯絡不通なりし由 △東海岸経由函館線は八日より全く不通、苦小牧より日高サルル迄の間に故障ありたるならんと推測せらる。
 
▲厚岸電報
    (十日午後一時半発電)
 床潭(とこたん)、末広(まひろ)に潰家多数只今迄に判明せし死者六名、今猶取調中。
 
▲霧多布電報
    (十日午後二時二十五分発電)
 八日大風雪の為、字奔幌戸(ほんほろと)、貰人(もらひと)にて家屋五戸破壊せり、焼失家屋一戸、死亡者四、負傷者一、其他被害目下取調中。
 
▲昆布森特信
    (十日午後四時本社着)
 昆布森にて死者九、潰倒家屋十一、半潰一あり、外に負傷者多数、猶跡永賀(あとえか)にては全部落潰滅せりとの風説あれども往来杜絶の為定かならず。
 (附記 昆布森の被害詳報は余白なき為明日の紙上に譲る)
 
 
(釧路新聞 明治四十一年三月十一日)

 

  底本:石川啄木全集 第8巻
    筑摩書房
    1979(昭和54)年1月30日初版
 

  入力:新谷保人
  2006年3月11日公開