紅筆便り
 
石川 啄木
 
 
 
 
 近頃紅筆帳に材料つきて兎や角と思ひわづらひ居候処へ休坂奇談小若雪中廼歌といふ珍聞を耳にいたし候儘不取敢一筆染めし上げまゐらせ候▲一昨夜は十時十分頃の事見番前よりゾロ/\と休坂を下りて行く一団七人の男女連何れもコートに帽子外套といふ扮装なれば鹿とも馬とも判明致さず候ひしも「這麼(こんな)雪路を誰が為の難義でせう、ネ辻さん」と云ふ甘き語は確か助六妓にてモ一人の丈の低きコート姿は小若裙なること相違無御座候千鳥足危気に右ヘヒヨロ/\左ヘヒヨロ/\辷り易き坂路を凭りつ凭られつ辿り乍ら小若例の金切声を有らん限り振上げて「これほどおツ拡げて翳してるのに、主は……」といふ歌を節もしどろに歌ひ出し候声折柄の港の暗を破りて遙かに阿寒山に反響し侯由然も坂上の見番の前から坂下の曲林の入口までの間に同じ歌を都合十三回歌ひ候ふとは当夜の薬の利加減大方察せられ候と申事に候かしこ。
 
 
(釧路新聞 明治四十一年三月六日)

 

  底本:石川啄木全集 第8巻
    筑摩書房
    1979(昭和54)年1月30日初版
 

  入力:新谷保人
  2006年3月6日公開