紅筆便り
 
石川 啄木
 
 
 
 
 今日は一つお慰みまでに女中部屋の秘密を素破抜いてお目にかけまゐらせ候▲喜望楼のお栄ちやんといへば未だ漸々去年の十一月頃からの勤に候へば知らぬ人もあるべしと存候が嘗て米町あたりにてキンツバの屋台店を妹と二人で出してるのを確かに見た事ありと申す人有之候。挙動しとやかに言葉も温順(おとな)しく釧路の女中界では一番の容貌と誰やら噂し候ふが二階で手が鳴つても未だ高い声を出してハイとも云ひかぬる素人振アラ可憐や可愛やと許り見込をつけた先生ありて知る人ごとに女中美論を担ぎ出し果はたまらなくなつてそれとなくお栄ちやんの身元調の段取となりしが聞いて見れば何の事丸コの料理番某が内縁の妻と解つて先生此頃は矢張芸者でなけりや座が持てぬと仰せられ候由▲しやも寅のそよちやんと云はばアレかと皆様御存知なるべしさる頃ハイスベリー先生と申すお方お出遊ばされし際お持遊ばせしハンケチ一枚が端なくも問題となり私に下さい/\とサテは鶤寅上下総立の騒ぎとなり女といふ女が残らず此先生を取捲いてニヤンニヤと喚いたので遂々籤を引く事になり当つた者に其珍らしい美しいハンケチを遣るとの御諚なりしがサテ当夜の幸福者こそ此そよちやんにて紅く縁どつたハンケチ一枚をおし頂いて嬉し涙に前後も忘れし程なるが其後既に一月余りの今日迄に一度函館とやらに居る男の許へ為替を送つてやる時郵便局に持つて行つただけにて神符の如く大切にして半紙五枚に包んで行李の底に入れて置くとはサテモ/\お愛矯の話に御座候▲一昨夜夜もふけて時計は一時を過ぎたる頃帽子を目深に外套着た四十五六の怪しき男あり千鳥足ヨロ/\鶤寅の玄関に転げ込んで是非共泊めて呉れとの剛情に今や枕につかんと帯まで解いた女中共総出になりて防ぎしも聞かばこそどうしても出て行かぬので押問答の二つ三つ男は我鳴立てるといふ騒ぎの所へお蔦女中が例の土臼の様な尻を振り/\出て来て何御用と許り吊鐘の様な声を出したので流石の男も初めの勢ひ何処へやらサツサと出て行つたとの事に候。
 
 
(釧路新聞 明治四十一年二月二十七日)

 

  底本:石川啄木全集 第8巻
    筑摩書房
    1979(昭和54)年1月30日初版
 

  入力:新谷保人
  2006年2月27日公開