紅筆便り
 
石川 啄木
 
 
 
 
 永々風邪の気味にて朝夕桜湯にのみ親しみ居候ふて思はぬ御無沙汰いたし誠に/\御申訳もなき次第に候が今日は少し心地よく候ふまゝ枕紙の皺のべて例の如く紅筆そみし上げまゐらせ候さてとや喜望楼の小玉妓には予て噂のなりし如く愈々此度兵六玉と改名なされフツツリと足を洗ふて川向ひはアンドウ部屋とかにお移りなされ候由多年の願望相叶ひ候事とてお二人の満足はさる事乍らお気の毒なるは東京の梅の花の散り布きたるに北海の雪を忍び給ふ奥様なるべしと申す事に候▲小玉妓が配りし赤の御飯を喰べ乍ら何に感じてか物をも云はず肩で息した妓二人三人有之候由これさう心配せずと早く拇指(これ)に談判して見る方が案ずるよりも安かるべく或人の話によれば三月中にはまだ二人許り足を洗ふ人あるべしとの事に候▲去る頃鉄道操業視察の為に来られし新聞記者の一行が二十二日の一番にて出立なされ候ふ事は皆様御存知の事なるべきが其際見送に出た芸妓は小奴ただ一人なりし由送られた人の誰なるかはココ暫く天機洩らすべからずとしてサテ送られた方の一行中には各自自惚が強く先を争ふて礼状をよこしたとかにて小奴此頃天にも登つた気で新聞記者でなければ妾の友達になれない事よと四方八方吹聴し歩いて居るとの事に候。
 
 
(釧路新聞 明治四十一年二月二十六日)

 

  底本:石川啄木全集 第8巻
    筑摩書房
    1979(昭和54)年1月30日初版
 

  入力:新谷保人
  2006年2月26日公開