釧路築港問題
 
石川 啄木
 
 
 
 
 釧路築港問題は、議会開会前より今日に至るまで、終始吾人の予想通り進行し来れり。吾人は、小樽一港の完整のみを先にして、本道東海岸に於ける築港を等閑に附したる団左長官の経営案に賛する事能(あた)はざりき。然も其経営案は今や既に動かすべからざるものゝ如し。築港問題は吾人の予想の如く四十一年度の予算に計上せられず。
 然れども、我釧路の死活を左右する該問題が、四十二年度に於て着手せらるべきは殆んど之を確定議と見るを得べきに似たり。是一は本問題が最初より本道開発必然の要求にして、其成立を危うすべき何等の故障なかりしに依ると雖(いへ)ども、亦一方に於て我が在京運動委員諸氏の熱誠に負ふものたらずんば非ず。一昨日の本紙に載せたる「東京便り」を一読したる人は、白石新津両氏が責任ある答弁を求めたるに対して、当局者が左の如く明言したりてふ事を記憶せらるべく候。曰く



 
釧路築港費を明年度の予算に計上せざりしは財政の都合にあらずして、築港計画の変更の為、測量未成の為なるに依り、明年は必ず提出すべく、之を再言すれば明年は釧路港の外他の各港の修築費を要求するや否やは未定なるも、留萌若(もし)くは函館室蘭の修築費を要求して釧路を後にすることは断じて之なし。云々。
 吾人は今此好信に接して、深く在京委員諸氏の功労を多とせざるべからず。而して又、今期議会開会前に、建議案若くは其他の方法によりて我が釧路町民の意志を発表して置くの手段を講ぜられん事を切望す。由来本問題は本道開発上必然の要求たるが故に、何人と雖ども之に同情せざるものなし。ただ、過日の鉄道操業視察隊歓迎会席上に於て、タイムスの小川氏が苦言を敢てしたる所謂「釧路町民は小樽人の如く熱心ならず」てふ一語は、今後に於て特に町民諸氏の忘るべからざる警語たらずんばあらず候。
 
 
(釧路新聞 明治四十一年二月二十八日)

 

  底本:石川啄木全集 第8巻
    筑摩書房
    1979(昭和54)年1月30日初版
 

  入力:新谷保人
  2006年2月28日公開