一昨日の釧路婦人会
(総会出席者二十名)
 
石川 啄木
 
 
 
 
▲又も二時間半の懸値(かけね) 村田通也氏夫妻の尽力によつて創立せられ三十六年以後満五ケ年の歴史を有する釧路婦人会は予報の如く一昨九日を以て第一小学校に第六回総会を開催せり。記者も前日招待状を落手して出席するの栄を得しが、嘗(かつ)て愛国婦人会釧路幹事部の互礼会に臨んで開会に二時間半の懸値ありしに吃驚(びつくり)したる記者は予(あらかじ)め当日の紙上にしか試みに其事を特記し置きしが、然(しか)も所謂(いはゆる)釧路時間なるものは一操觚者の如何ともする能(あた)はざるものと見えて、午前十時といふ開会は又も二時間半の懸値にて午後零時半になりぬ。釧路の文明は毎日二時問半宛時勢に遅れつゝありとも云ふべきか。記者は釧路に来てより両婦人会のために五時間の損をしたりと愚痴をこぼし置く。
▲正副会長の撰挙 開会すると直ちに村田委員より会務の報告あり。(後段参照)正副会長の撰挙に移れるが、静粛なる投票の結果、会長は松方盛子十三点、北守とみ子二点、副会長は北守とみ子十点、児玉うめ子三点、鈴木のぶ子二点にて
  会長 支庁長夫人 松方盛子
  副会長 北守医師夫人 北守富子
の両姉当選し、松方夫人は出席なかりし故直ちに急使を派して承諾を得、北守夫人は一応謙譲なる辞退の後出席者一同の懇請にて遂に承諾せられたり。猶同会規約による現在幹事は、第一小学校教員鈴木信子、同菊地くに子、嘉助氏夫人児玉梅子の三姉にて、前副会長は町会議員与平氏夫人佐々木えち子姉なりし。(会長欠員)
▲太田氏の演説 茶菓に次いで弁当の饗応あり、座興漸く酣(たけなは)なる時北海タイムス支社の太田龍太郎氏起ちて来賓一同を代表して一場の挨拶をなし、同氏が嘗て全力を挙げて経営したる札幌仏教婦人会に関し詳細に其発達と事業とを説明せられたるが、此演説は婦人会の経営上教訓を与ふる所深く出席者一同静粛に傾聴し居たる如かりし。
▲余興の福引と蓄音機 かくて余興の福引に移りしが、真先の「大酒呑」といふのが新副会長北守夫人に当り大なる漏斗を得られたるは左手の利く方の御夫人だけに一座の喝采を買ひぬ。何れも皆面白きクジ許りなりしが、記者に当りたるは「波止場」といふのにて、荷揚げるが煮上げるなりとて牛鍋一個は滑稽なりし。但し下宿屋住居の身には早速用にも立たぬぞ遺憾なる。それより佐藤嬢の技師にて蓄音機数番、皆日本物許りにて新喇叭節などは少し場所柄を考へさせしが、三勝半七酒屋の段などはそれでも一同耳を聳立て聞きぬ、散会は午后四時過ぐる五分なりし。
▲昨年度決算報告 精細なる会務の報告中四十年度決算の分は左の如し
  ▲収入之部
 一金六十七円八十七銭二厘也
  内訳
  金十六円八十七銭二厘 繰越高
  金三十九円二十銭   会費
  金十二円       総会の際の寄附金
  金二十銭       預金利子
  ▲支出之部
 一金五十六円十五銭五厘也
  内訳
  金六円八十銭     人夫雇入給料
  金十九円八十七銭   総会費用
  金一円        会員死亡香花料
  金七円〇八銭     消耗品費
  金三円        廃兵部寄附
  金三円        遭難者へ寄贈
  金三円        運動会寄附
  金十二円三十九銭八厘 餞別祝儀等
 差引残金十一円七十一銭七厘
            (四十一年度へ繰越高)
▲幽霊の如き婦人会 此釧路婦人会は村田氏夫妻の尽力によりて創始せられ、満五ケ年の歴史を有する事は前記の如くなるが、去る三十六年三月第一回の総会を開いて以来今度にて既に六回目の総会となり、戦役当時此方公共的慈善主義といふ同会の趣旨の下に諸方へ金品を寄贈したる事三百円以上に上り、兎も角も斯(かか)る僻遠の地にある一小婦人会としては多少の貢献あるものゝ如く数通の感謝状及び賞杯等も数個所有し居れるが、然(しか)も一度同会の現状を見れば最初百二十余名なりし会員が現在僅か三十二名に過ぎず、前年度に比較するも八名の減少を示し居る有様にて極度の不成績極度の不振と云ふべく、若し此儘にて行く時は最後には委員村田氏夫婦だけになつて了ふかも知れず、頭許りにて後が立消になる状況は宛然幽霊の如しとも云ふべきか。村田氏の説明によれば三十七年に一度会員を募集したる限にて其後一回も勧誘した事なき為なりとの事なるが然らば敢て問ふ。
▲何故に勧誘せざる乎 既に此会を起したる以上充分奮励して会務を拡張し其趣旨を貫徹するに努むべきは当然の事なるに、今迄の正副会長及び幹事諸姉は何故に年々減少し行く会員数を知り乍ら之を等閑視して何等同会の為めに尽す所あらざりしか、若し会員が無くなつても構はぬなら寧(むし)ろ今のうちに潰して了ふ方がよきにあらずや。且つ一昨日の総会の如きも太田氏の演説を除いては何等の益もなく、唯会務の報告とお茶とお煎餅と弁当と余興の福引と蓄音機だけにて、婦人の交際機関としては申分なけれども何等将来の同会事業に対する話もなく頗る平和無事に終りしは聊(いささ)か物足らぬ心地せられざるに非ざりき。同会は愛国婦人会は其性質に相違あれば此釧路の婦人界のために大に尽す所などとなかるべからず。古宇田女史の裁縫女学校を除いては何等女子教育上の設備なき当地にありて、手芸其他の伝習所を起すが如き亦斯くの如き会にとりて最も適切なる事業なるべく、婦人の交際機関としても年一回の総会だけにては殆んど其用を尽さず。又家庭の改善は社会改良の第一歩なれば其為にも充分尽すべき余地ありと云はざるべからず。家庭の腐敗は趣味の下劣による事多きは言を俟たざる事故、婦人の越味を涵養する方法として同会の一部に文芸の研究的機関を設くるも亦一法なるべし。兎にも角にも記者は同会に対し新正副会長及び幹事諸姉は勿論一汎会員諸姉の覚醒を促がし今後一層の奮励を望まざるべからず。
▲当日の出席者 猶当日の出席は左の二十名にして、来賓としてはタイムス支社の太田龍太郎氏、愛国婦人会事務員竹原氏、第一学校の筒井銀平氏及び本社の予の四名に過ぎず。村田氏は終始会場にありて斡旋の労をとられたり。



 
守北とし子、福富はる子、鈴木信子、児玉梅子、菊地くに子、古宇田仲子、鈴木つね子、伊藤義枝子、村田愛子、橋本てつ子、北野たけ子、菊地ちよ子、豊島さく子、橋本のぶ子、畑田えつ子、島谷つる子、磯部てい子、盛山やす子、北宇ぬい子、菅波なほ子。
 
(釧路新聞 明治四十一年二月十一日)

 

  底本:石川啄木全集 第8巻
    筑摩書房
    1979(昭和54)年1月30日初版
 

  入力:新谷保人
  2006年2月11日公開