紅筆便り
 
石川 啄木
 
 
 
 
 包む心の朧なる蘭燈の光に白檀の香は焚かねども長火鉢の鉄瓶に深山松風音を立てて待つ身につらき長夜のつれづれいざや粋様方へ長々の御無沙汰御詫までとは烏滸がましけれど穂先を微酔の息に解かして紅筆染めし上まゐらせ候さてとや今日此頃は阿寒颪(おろし)の寒さも少しは緩みそめ候ふ事とて粋様方のお心もどうやら春待心浮き立ち候ふ為にやソソジヨ其処等に夜な/\の三味の音賑々しや新聞社のお方にお金さへあれば随分面白可笑き種の上る頃とは相成申候▲海に千年山に千年と迄はまゐらねど世の荒波に骨まで洗はれて棚なし小舟たよりなく某といふ汽船の船長様に救はれた事もある小静の君世の中の酸い甘いは悉く嘗めつくして日本一の山の頂きにも登り蚊竜ひそむてふ万沢の奥までも探りし身ながらに流石に今年の寒さは七年目動かぬ揆の手を火鉢の縁に打ちつけて辛くも温めし白魚の指今更乍ら此道のつらい事知り侍りぬと喞ち遊ばせしも昨日の事にて大橋の準禁さんと芝居見物などは陽気の加減にも候べきか斯く迄に前後をお忘れなされては姐御の顔が潰れると誰やら額に青筋張りて奮激いたし候ふとの事誠に御最千万の御心配と私の所夫(やど)も申居候▲話変つて之はまた近頃の珍聞、ト申す程にも無御座候へ共二三日前のさる宴会にて何処やらの鼻下長さまシヤモ寅のぽんた姐さんを攫まへてオイ角のポストと申され候角のポストとは何はさて変痴喜輪な名前もあるものと不学の私不審晴れやらずそれこれと探つて見候ふ所ぽんた様お宅には毎晩の様に前田の郵便函兄様がお詣り被遊候ふ由但し之はまだ/\内密の事に候へばお人様へはお吹聴被下間敷神かけて念上まゐらせ候▲片仮名のアの字と許りではお解りになるまじく私にも壱向合点がまゐらず候へ共私昨日の朝お湯にまゐり候ふ帰がけにフト見つけ候ふ落文お馴染を以て特に御披露申上候



 
市子さん世の中に詐を云ふ人程コワイ者はありませんネーあなたも何方かと云へば誠の事は云はぬ方ですネー……何れ其うち御めもじ致しますよ、さよなら、照さんへよろしく
  市さん                ア
封筒には浦見町六四村山しんと許り達者な男文字にて消印は釧路局の明治四十一年二月十一日▲さても同じ市子の君此頃お鼻の格好が少し変つて上向いたとか横に捩れたとかの噂御紙上にて承はり少しく時節おくれ乍らお鼻拝見と許り一両日前に御めもじ仕り候ふ所御老人様には口中御療治の為め御上京被遊てより既に十日余りにも相成候とて市子さまにもお鼻のわづらひ大方お直り被遊候様にて二十世紀だの理想だのアイラブユーだのと夫は/\傍へも寄付けぬ御気焔の数々殿方ならばいざ知らず私共女風情サン/゛\煙にまかれた上に手の甲に煙草の火までつけられ候▲只今お使に出した女中帰りての話によれば、三上御主人の御本望愈々叶ひて一助さまには可昨夜芽出度御身体が二つに成られ候由に御座候先はあら/\これにて筆とめまゐらせ候賢可。
 
 
(釧路新聞 明治四十一年二月十三日)

 

  底本:石川啄木全集 第8巻
    筑摩書房
    1979(昭和54)年1月30日初版
 

  入力:新谷保人
  2006年2月13日公開