雲間寸観
 
石川 啄木
 
 
 
 
▲東欧問題は由来欧洲外交の痼疾に候、伝記的色彩を有する土耳古(トルコ)と微弱為すに足らざる希臘(ギリシヤ)とが蜂巣の如きバルカン半島の南北にありて未だ何れも充分なる威圧を施す能はず。ダニユーブの流悠揚として迫らざれども、東欧の天は殆んど年が年中小紛擾の絶ゆる事なき有様に候。小紛擾は小紛擾なれども、之あるが為に全欧の国力均勢は常に其危機を脅かされ、やゝもすれば怖るべき世界的大戦の禍根が此黄塵痩土の小連邦に萌芽せんとするに於て、其拳大の地に起る一動一静時に意外な圧力を世界に伝播し来る。近時マセドニヤ国政に関する土耳古政府の措置が露国をして黙せしむる事能はず、露国の軋轢(あつれき)は到底兵力の解決に出るの外途なきに至りて、遂に土国は其国境に軍隊を集中し、露国亦之に対して三箇師団に動員令を発したりと云ふ電報の如き、又以て既に、百年に亘れる欧洲外交の痼疾の性質を知るに足るべく候。
▲両国が其軍隊に動員を命じたりと云ふは或は事実なるベし、然れども吾人は、仮令(たとへ)両国の軋轢が兵力以外其解決を求むるの途なきに至りたりとするも、更に両国以外の勢力ありて茲に其威圧を試み、決して戦禍を起すに至らしめざるべきを信ぜんとす。両国以外の勢力とは乃ち欧洲に於ける国力の均勢なり。欧洲各国此均勢を破らむとして常に陪中に計画する所あり。然も一度他に之を遂行せんとする者出るに当りては、殆んど盲目的に之に対して圧迫を試み此形勢の持続せられたる事既に三十年に及べり。然らば世界の大勢は更に何十年の間此形勢を保たしむべき乎、之今日に於て未だ何も知るべからざる事に属す、然り、特に今日に於て最も知るべからざる事に属す焉。
▲外交界の発落に注目したる人は、一昨年モロツコ問題が如何に当時の欧洲にありて重大なる問題なりしかを記憶せらるべく侯。而して去る一月下旬海外電報によりて伝へられたる仏国前外務卿デルカツセ氏の同問題に関する議会の演説は、該問題危機当時の真相を曝露したるものとして、大に世の注目を惹起したるものゝ如く候。巴里発刊社会党機関新聞アクシオン紙の云ふ所に拠れば、デルカツセ氏の辞職したるは、氏が英国と密に攻守同盟談判を行ひつゝありしを独帝の為めに逸早く感知せられたるに因るものにして、即ち独帝は此の事を耳にするや直ちに駐独伊国大使に告ぐるに、若し右の同盟にして締結せられんか、独逸(ドイツ)は直ちに兵をロレーンに進む可きを以てしたるより、此の威喝は仏国に通じ時の内閣議長ルーヴイエー氏はデルカツセ氏の密に談判を行へるを責め直ちに辞職せんことを求めたるなりと云ひ、又バトリーはアクシオンの記事を追加して当時此の談判を知りしものはデルカツセと大統領ルーベーの二氏ありしのみ。左れば内閣議長ルーヴイエー氏は夫の有名なる千九百五年六月六日の閣議に於てデルカツセ氏の閣僚に談判を隠蔽したるを責めて三十分間内に辞職せんことを要求し、「貴下の態度は犯罪的なり。貴下は宜しく射殺せらる可きものなり」と絶叫したりと云ひ、レクレア亦デルカツセ氏は前任者アノトー氏の政策を全然放棄したるものなり。即ち露国はコレンソの戦後(南阿戦争中なり)仏国に向ひ一箇の黙契を結び以て仏国のモロツコ露国の波斯(ペルシヤ)に於ける行動を容易ならしめんことを提議したることありしも、デルカツセ氏は之を排し却つて英国に向ひ露国の意図を通牒したれば、其結局は英仏の融和となり英国はモロツコに於ける極めて僅少の関係を売りて挨及に於ける仏国の利益を手裏に収め去れり云々と説き居る由に候。
▲此新音は、以て当時欧洲の天地に低迷せる暗雲の如何なるものなりしかを説明して余薀なきものと云ふべく、而して既に該問題の秘密の斯く公開せられたる以上は、当時我が政府に対して英国政府より重大なる通牒ありし秘密も亦、茲に公開して敢て支障なかるべき乎。
▲独帝は初め仏国を脅々するに逞兵をロレーンに進むべきを以てしたり。果敢なるデルカツセ乃ち大統領ルーベーを説いて普仏戦役以来の鬱憤を此一挙に晴さんとし、電光石火の間に英仏攻守同盟を内決し、アルゼシラス会議に独帝の野心を挫いて、以て其行動の如何によりては直ちに英仏聯合艦隊をして独逸の諸港を封鎖せしめんと企画したる由に候。帝国政府が友邦英国より重大なる通牒に接したるは此時にして、事若し計画の如く進行せば、日本は其武力を以て東洋及び亜弗利加(アフリカ)沿岸に於ける独逸の殖民地を攻取する手筈なりしとの事に候。
▲以上の計画の秘密に生れて而して遂に秘密の間に葬り去られたる理由は、アルゼシラス会議以後、独帝が俄かに世界政策なる語を口にするを罷めて、随所に平和論を説き出したる形勢に見て明瞭なるべく、乃ち初め仏国を胴脅したるカイゼルは、後に至りて却つて英仏二国の為に睨殺(げいさつ)せられたるものと可申候。
 
 
(釧路新聞 明治四十一年二月二十五日)

 

  底本:石川啄木全集 第8巻
    筑摩書房
    1979(昭和54)年1月30日初版
 

  入力:新谷保人
  2006年2月25日公開