雲間寸観
 
石川 啄木
 
 
 
 
 葡萄牙(ポルトガル)国王カルロス一世陛下及び皇太子ルイ・フイリツプ殿下が去る一日リスボン市に於て兇漢の為めに暗殺せられたりとの報は、全世界を通じて異常なる感動を惹起したる者の如く候。
 倫敦(ロンドン)電報の報ずる所によれば、同日午後陛下には皇后陛下皇太子殿下及び第二皇子マヌエル殿下と共に、御遊猟の帰途幌馬車を駆つてリスボン市中を御通行中、四辻に待合せ居たる兇漢等が不意に騎銃及び拳銃を以て狙撃し奉り、父皇陛下は三発の銃丸を受けて即死し給ひ、皇太子殿下も亦三発の拳銃弾に当りて数分後に敢えなくも落命せられ、かくと見て身を以て第二皇子を蔽ひたる皇后陛下は御無事なりしも、マヌエル殿下亦御負傷ありし由に候。弑逆者(しいぎやくしや)中、三名は直ちに警官の為に射殺され、数名縛に就けりと申す裏に候が、之が為に首都リスボン府は何等騒擾を醸すことなく、翌二日、負傷せられたる第二皇子マヌエル殿下皇位に即かるゝ旨を宣言せられ、国民の多数は同情を以て此新帝を迎へたる由に候。
 該暴行が、同国陰謀者等の企画なるか、果た又南欧の天地に瀰漫(びまん)せる無政府党員の手によつて遂行せられたるかに関しては、未だ何等の確報に接せず候。然れども、少しく同国の内情に通ずる者は、等しく前者の所為なるを想像し、少なくとも同国内の政治的陰謀家が無政府党員と結託し、若くは使嗾(しそう)して為したるものなるべしと云ふに一致するものゝ如く候。
 カルロス一世陛下は御年四十六歳、「肥満王」と綽名(あだな)せられたる丈ありて体重四十貫に上り、現時世界の各国元首中の大関にて文学上科学上の御造詣深く、二十年以前、前帝ルイ一世に次いで皇位を継承せられしが政務に閨しては常に寧ろ中立の態度を執られ、敢て干渉せられる事なかりしも、一昨年来同国の政治家甚しく腐敗して、猟官の野心の為に議会の席を争ふが如き観を呈し、皇帝に左袒(さたん)すべき保守党の腐敗殊に甚しく、立法の機関殆んど用をなさゞるの状況に至りしより、帝は自由党の壮年政治家にして熱心なる愛国家ジヨーキン・フランコを挙げて首相とし、非常なる英断を以て一時同国の「憲法中止」を布告せられ、四百万円の議会費を財政整理費に充てられしが、国民の多数は却て帝の此挙を喜ぶ者の如かりしも、腐敗せる保守党は種々なる奸手段を用ゐて絶えず陰謀を企て居りし由に候。然も帝は初めより憲法中止の穏当の処置に非ざるを知悉せられたれば、今月四日を期して再び議会を召集せらるゝ筈なりしに、今や俄然として此事あり。誠に痛歎の極に御座候。
 当日皇家御一族と共に同じ馬車を駆られたるは、皇太子が憲法中止に反対にて父皇との閲に隙ありと云ふ訛伝に対し、国民に向つて疑惑を解く為の聖慮に出し由なるが此事却つて皇帝皇太子同時に兇手に斃るゝの因となりし事、一層悲しむべきを覚え候。皇太子御年二十二歳、夙に英明を以て知られき。此度即位せられたるマヌエル第二皇子は御年僅に十八歳、御負傷はさしたる事なけれど、非常に疲労し給ひし由にて、当分母皇御摂政あるべしとの事に候。
 南欧の天地由来兇変多し。数年前伊太利皇帝暗殺の事あり、昨年は西班牙の元首危くも無政府党員の爆弾に斃れんとせしが、今又此兇報を伝ふ。世界の裏面には、未だ人の知らざる一大暗流あり。此暗流、時に地殻を破つて地平線上に湧出するや、紫電閃々、懐剣光り、拳銃鳴り、爆弾飛び、鮮血淋漓として腥さし、兇漢或は殺され或は捕へられて、世は再び太平に入る如しと雖ども、地層幾尺の下、一大暗流や依然として一大暗流たり。或は更に一層の猛烈を加へて噴火口を求めつゝあるなきを保すべからず。
 葡国今回の凶変は、同国の内情に照して其陰謀家等の卑しむべき企画なる事略想察すべし。然も吾人は端なくも今回の事によりて世界の裏面に横溢する一大暗流に想到し、読者諸君と共に茲に怖るべき戦慄を禁ずる能はず候。若し、国際的戦争なきを以て世界の平和が維持せらるゝものとすれば、謂ふ所の「世界の平和」なるもの、或は夫れ軽装の美人が薄氷を踏んで舞踏するにも似たるべきか。
 
 
(釧路新聞 明治四十一年二月八日)

 

  底本:石川啄木全集 第8巻
    筑摩書房
    1979(昭和54)年1月30日初版
 

  入力:新谷保人
  2006年2月8日公開