雲間寸観
 
石川 啄木
 
 
 
 
三十一日正午 
◎予算委員総会 二十五日の第一回総会は同日午前十時半開会。首相蔵相の挨拶に亜(つ)いで、江藤新作氏の軍事費に関する質問あり、寺内陸相之に答へ、早速整爾氏の事業繰延に関する質問には、水町大蔵次官より説明する所ありて、正午散会。何事もなかりし由に候が、二十七目の第二回総会には不取敢(とりあへず)再昨の紙上に電報を以て報じたる如く、民党の重鎮大石正巳氏より噴火山的大質問あり、舌端火を吐いて政府に肉薄するの活劇を演じ、蔵相陸相外相の三相亦熱心なる答弁を試みて正午一先づ休憩したる由に候が、大石氏質問の要旨に曰く、今回の財政計画は反て財政の基礎を不鞏固にする者なり。抑(そもそ)も政府の予算案には二箇の病根あり。此の病根即ち基礎を不確実とするものなり。二箇の病根とは何ぞ、一に曰く借金政策、二に曰く事業繰延即ち是のみ。所謂繰延は既定年限内に於る繰延に過ぎずして更に年限を延長することなし。又政府当局は外国財界の不況の故を以て公債募集の不能なるを云ふも一億二億の公債は何時にも募集し得らるゝ筈なり。或は内国に於ても之を募集し得べし。而(し)かも募集し能はざるの事情は内外財界の不況に基くにあらずして財政の不確実なるが故なり。財政の基礎薄弱にして如何でか内外に信用を維持し得べき。政府は歳入の自然的増加ありと云ふも此の如き不確実なるものを以て到底財政上の信用を得る能はず。一時凌ぎの計画は国家を誤るものなり。政府当局が平和の今日僅かに数千万円の公債をも募集し得ざるが如き地位に日本帝国を置きて安心せらるゝは何ぞや。日本の予算は政治家眼を以て編成せるにあらず。又帝国の境遇の如何と事件の緩急とを計りて立てたるものと為すを得ざるなり。抑(そもそも)財政をして最も困難ならしむるものは国防なり。是れ予算を軍人眼を以て立つるに因る。従て益々経費を軍事に吸収せられ財政は益々困難に陥らざるを得ず。若し外交上より解剖するときは予算の立て方を明かにするを得べし。首相は日英同明は益々鞏固なる上日仏日露の協約成りて日本の地位は鞏固になれる旨を演説せられたり。然り、日英同盟は益々鞏固にして日露及び日仏協約は愈々日英同盟を鞏固ならしめたり。日仏協約は南清の方面を安全ならしめ日露協約は満洲北清の方面に於ける危険を免れしめたり。加之英露の協約は始ど世界の平和を保障せり。然らば日本の東洋に於ける地位が益々安全鞏固を致せるは何人も疑を容れず。斯の如く平和の保障せられ地位の安全なる時に於て財政を整理し民力を休養せずんば単だ何れの日に之を望まん。次に外交の不振に就て質問せん。先づ日清間は如何、ポーツマス条約に伴ふ日清間の交渉は殆んど総て未決の儘に在るにあらずや。清国は可成日本の利益に反するの態度を採れるの傾きあり。日本は清国に対して一と通りの責任に止まらず指導の重任に膺(あた)り清国に向つて大なる恩恵を与へたるにも拘はらず、清国をして兎角日本の利益に反する態度を採らしむるに至るは外交機関の振はざるに因る。通商貿易に於ても又此の如し、移民排斥の如き日本の外交の振はざるが為めなり。又排斥熱の起れる後に於ても万事甚だ手緩き感あるに非ずや云々、と述べ更に交通機関に就て質問せんとしたる原逓相未だ出席なかりし為め之れにて一先づ質問を止めたる由に候が、之に対し、松田蔵相は断乎として予算の編成が軍人眼に出でたりとするは否なりと答へ、寺内陸相は満洲駐屯軍をニケ師団のみに止めたる実例を引きて帝国の軍備が財政を眼中に置かずとの非難は無理なりと論じ、又我国をして今日の状態に至らしめたるは兵力の結果なるが故に軍備が不生産的なりといふ事は出来ぬと怒鳴り、林外相は例の悠揚迫らざる体度にて、勢力は之を加ふる方はよきも加へらるゝ方では悪きものなりとて清国問題に公平穏健なる意見を吐露し、対米問題に関しては、日本人は益々安全なる地位にありと確言したる由に候。
◎同上二十八日総会 翌二十八日総会も亦活劇を演出したる由にて、島田三郎氏、軍備の為め凡ての事業を犠牲とするも兵備を活用する財政上の基礎ありやと質問せしに、松田蔵相は何(いづ)れの国と雖(いへ)ども開戦準備金を設くるものあらず、只万一の際は国民愛国心に訴ふる外なしと遣込め、早速氏と氷町次官との問答中、望月右内氏(政)煩鎖聞くに堪へずと之を攻撃するや、其後席にありし進歩党の神崎、東尾二氏奮然唸りを発し、中にも神崎氏は望月氏と掴み合ひを始めむとするに至り、政友会の野田氏が中に飛び込みて、怒号慢罵の声喧しく大立廻りとなりしが、幸にして大岡委員長の制止にて鎮静に帰し、次で望月小太郎氏(猶)より日米関係につき説明を求むるため秘密会を要求せしも成立せずして散会したる由に候。
◎韓宮の低気圧 韓国内閣の動揺に関しては一昨日の本欄に多少記載する所ありしが、悲しむべし、京城の内外陰時常ならずして、一団の低気圧四大門上を去らず。宮内府にては近日女官を廃し李宮相の帰国を待ちて雑悲四千余名を解散し根本的の粛清を図ると揚言しつゝありて、庶政漸く其緒につくものの如しと雖ども、裡面には幾多の暗流横溢するものと見え、廿八日の京城発電は、厳妃の姉聟にあたる閔某が太皇帝及び厳妃の密旨を受けて大金を携帯し、上海より銃器弾薬を密輸し、以て暴徒を幇助せむとせし陰謀発覚し、仁川に於て縛に就ける旨を報じ来り候。自ら末路を早むる所以なるを知らざる韓廷の挙措、吾人は寧(もし)ろ愍憐情に堪へざるものに候。
◎露国議会の解散風 露国政府は若し国民議会にして海軍再興費を否決するに於ては、断然解散すべしと各議員を威嚇しつゝある由倫敦(ロンドン)電報によつて報ぜられ候。若し同案を遂行するとせば、十ケ年間に亘り三億一千九百万磅を要すべく全露国の輿論は全たく之に反対しつゝありと申す事に候。現時の世界に於て、何処如何なる国の人民も過大なる軍事費の為めに膏血を絞られざるはなしとは、抑々(そもそも)之何事ぞや、心ある者の宜しく一考再考、否百考千考すべき所なるべく候。
 
 
(釧路新聞 明治四十一年二月一日)

 

  底本:石川啄木全集 第8巻
    筑摩書房
    1979(昭和54)年1月30日初版
 

  入力:新谷保人
  2006年2月1日公開