雲間寸観
 
石川 啄木
 
 
 
 
◎帝国の政界既に政治時期に入りて形勢転(うた)た急なるの時、お隣りの韓国に於ても亦例の騒動を初めたるものゝ如く、数日前より在京統監の許に長文電報頻々として到りしが、最近の京城発電は総理大臣李完用と宮内次官小宮三保松氏との間に衝突あり、各大臣小宮次官を訪問して何事か協議したりとか、趙法相に辞意ありとか、或は又来朝中の李宮相が一両日中に帰国すべしとか伝へて、一団の低気圧韓宮を中心として動ける如かりしが、今又以上の電報が虚報にして一部策士の魂胆に過ぎずとの来電あり、吾人は此打消の電報も亦一部策士の魂胆にあらざるやを疑ふものに候。
◎根室町にて、昨年四月中、加藤秀雄外五十名の名義を以て、根室港を開港場に指定されむ事を其筋に請願せし事は、読者諸君の記憶に今猶新たなる所なるべきが、今回又々伊藤忍外二十九名の名義にて、再請願書を内務大蔵両大臣に向け提出せる由にて其理由の要旨は、輸出貨物比年増加するのみならず、柬察加(カムチヤツカ)方面の漁業経営を為す者続出し、清国向き輸出貿易も倍々隆盛ならむとする機運に際会し、且つ函館大火の影響によりても一層其必要を感じつゝありと云ふにある由に候。根室港の開港は吾人亦双手を挙げて之を賛す。但、若(も)し夫(そ)れ柬察加半島との関係に至つては、冬期港湾の凍不凍其他の自然的地位に於て、我が釧路港は寧ろ根室よりも数層の便益を有し、其他の問題に就いても、東海岸の小樽として甚大の希望あり。根室町民の活動が当町人士の為めに教訓する所蓋(けだ)し少なからざるべく候。
◎去る二十五日帰京したる前駐米大使青木氏が新聞記者を引見して談りたる所の要領東電によつて伝へられ候。曰く、華盛頓(ワシントン)出発の際は各大臣打揃ひ見送り呉れたるが、之れ内々大統領ローズベルト氏が注意したるに依る由にて、予に取つては意外の名誉なりき。彼の桑港在住の一部日本人中予を殺さんと謀る者あるやにて、米国政府より特に六名の角袖巡査を附せられたり。小池総領事は極て評判よく、又桑港新市長も好人物にて結構なるも、彼地の事情により目下彼の方針継続は考物なり。而して一時世論を沸騰せしめたる回航艦隊も既に出発したる今日に至りて之を観る時は、殆んど云ふに足らざるべし。又米国議会に於ける排斥案も敢て取立てて云為する程の事なかるべく、日本人帰化法案も今期議会にては決して物になるまじ。而して、日米交渉の移民問題に関しては外務省に参じて何事も云はざる心算なるが、元来日本の所謂移民なるものは移民に非ずして出稼人なり。動(やや)もすれば彼米人に悦ばれざる上、資本家が労銀安き日本人を歓迎するより、米国労働者と勢ひ衝突を免がれざる次第にして、有識者は人種の相違に就きて敢て偏見を抱くものにあらざれども、当分は我移民を禁止するを得策とす、云々。以て今日迄の対米問題が常に不得要領に終り、国民をして歯痒く思はしめたる所以の原因を窺知すべく、又以て同大使が交渉半ばにして召還せられたる真相を覗ふに足るべく候。
◎青木氏の謂ふ所必ずしも一理なしとせず、日本の移民が移民に非ずして出稼人なりと云ふが如き、吾人は悲しい哉之を打消すべき何等有力の証拠を有せず。然れども帝国政府を代表して彼国に駐在する大使としては、此等同胞の状態に対しては別に大に為す所なかるべからざるに非ざる乎。若夫れ米国の有識者が何等人種的偏見を抱かずと云ふに至つては、吾人は其所謂有識者なる者が全米国人中の何千分の一、若くは何百分の一なるかを知るに苦しまざるを得ず候。
◎吾人は、直接日米間の交渉に任ぜる青木氏にして叙上の如き極めて柔弱なる意見を抱持し居たるに拘はらず、日米開戦の予想が欧米諸国殆んど総ての新聞紙上に喧伝せられ、今や世界の公論たるの観あるを視、茲に多大の興味を惹起するを禁ずる能はず候。
◎青木氏の後任として今後の重大なる交渉に任ずべき前駐伊大使高平小五郎氏は、明後一日羅馬(ローマ)府を出発し、在巴里(パリ)の栗野大使と相携へて英京倫敦(ロンドン)を訪ひ、小村大使及び外相グレー氏と注目すべき会見を遂げたる後、直ちに米国に向ふべく、十五日迄には華盛頓(ワシントン)に着すべしとの事に候。遣外大官が一旦帰朝せずして新任地に向ふは其例少なし。是日米間の問題が目下の所一日も忽(ゆるが)せにする能はざる事情に由る者に候。高平氏の今後の行動は、欧米に於ける日米開戦説に対して何等かの変化を来すに至るべしとは一般の予想する所に候。(二十九日午後一時)
 
 
(釧路新聞 明治四十一年一月三十日)

 

  底本:石川啄木全集 第8巻
    筑摩書房
    1979(昭和54)年1月30日初版
 

  入力:新谷保人
  2006年1月30日公開