そば屋巡査に泣付く
 
石川 啄木
 
 
 
 
 夜鷹蕎麦の売子稲穂町十四番地内海大五郎(一七)といふ新米の野呂作は、一昨夜九時頃、蕎麦エ蕎麦アと頓狂な声を張上げて第二火防線通りに来懸つた時、一台の客馬車後方より雪を蹴つて駈け来り、吁(あつ)と云ふ間に突当つて蕎麦皿と角燈を木葉微塵に踏みにじり、御免とも何とも云はずに逃げ去りし不意の災難に、大五郎ヒヤーと許り追かくる勇気もなく泣く派出所に訴へ出でたものゝ、相手が一向不明なりし為詮方なく、大粒の涙をポタリ/\と零(こぼ)して、お巡査(まはり)様、俺ア宅へ帰(けえ)つて叱られるだア。
 
 
(小樽日報 明治四十年十二月十一日・第四十三号)

 

  底本:石川啄木全集 第8巻
    筑摩書房
    1979(昭和54)年1月30日初版
 

  入力:新谷保人
  2005年12月11日公開