大時化被害詳報
 
石川 啄木
 
 
 
 
 去る六日夜半の大暴風が殆(ほと)んど港内の艀を凌(さら)ひ尽し、航海中の船舶に危険を与へ、更に鉄道電信電話を不通ならしめたる被害の概況は既に前号に報じ置きし所なるが、今左に其後の状報を一括して報ぜんに、区内にては、
▲若竹町方面が恰(あたか)も風下に当りし事とて最も多く風浪の圧迫を蒙りたるものの如く、鉄道線路外の海岸に船倉を設け之に漁船を収容し置くもの多きため、磯舟数隻、川崎船一隻、保津船二隻、外に漁舎一棟、立所に激浪の為めに渫(さら)はれしが、其他浸水又は損害を蒙りたるもの左の如し。
 若竹町二十六番地太津丑太、杉野久太郎、佐藤千代松、二十七番地若松鉄五郎、布施市太郎、前田源太郎、後藤由松、小林倉吉、糸谷錫太郎、佐々木栄太郎、小林金作、斎藤長次郎、大関重三郎、永山利助、柴谷伝、石山春吉、沢田スヱ、中西亀古。
 猶此外、波浪のために打上げられたる木材の為め鰊廊下を破壊されたるもの尠なからざる由。
▲被害艀数 当区にて最も損害を被りたるは艀業者なるが、同夜行方不明となりたる運送艀(うんそうせん)及び乗用艀合計五十六艘にて、其内五隻だけは発見したれども三隻は既に大破して再用に適せず。其他は総て銭函方面に吹流されたるものと見え破片をさへ発見せざる次第なるが、安全なるものは殆(ほと)んど無かるべしとの事なり。猶艀合資会社の所有に拘る大艀一隻、燕麦七八百俵を搭載したる儘現形を損ぜず銭函海岸に乗揚げ居るを昨日に至りて発見し、会社代理人田中捨五郎氏に引渡したりといふ。
▲区役所へ届出数 昨日正午迄に当区役所に届出たるもの、艀は流失六、沈没一、破損四にして、荷物の行方不明となるもの四千七十個、海水のために濡れたるもの四千二百六十一個、木材の先方不明は二千百五十本なりし。
▲木材会社の損害 艀業者に亜(つ)いで最も多く損害を被りたるは各木材会社なるが、小樽木材会杜の分は角材三千石、丸太五十本、枕木一万五十挺、此価格約二万円。三井物産の分は角材千二百石、価格三千円。実業木材の分は角材七千石、枕木七千挺、価格二万五千円。信香製材所の分は角材枕木併て凡千石、価格二千五百円。稲穂町十四番地千田卯吉の分は枕木千五百挺、下駄材千本、価格千四百五十円、合計五万千九百五十円なるも、之等木材の凡てには所有主の刻印打込みあるを以て、風波の収まると同時に何れも引揚に着手すべく、紛失及び引揚の費用を見て実際は価格の三分の一乃至四分の一位の損害に止まるべしとの事なり。
▲朝里村の損害 同村に於る漁船の損害は磯船十四、保津船五、大艀二、伝馬船一、合計二十二艘にして、其他浸水又は破壊されたるもの、居宅五、廊下四、物置四、船倉一等なるが、被害者の主なるもの左の如し。
 高橋音太郎、原田清作、浜名甚五郎、渡辺惣八、柳田喜平、上田岩吉、内田甚吉、北川東四郎、後藤勘次、今丑松、福田清吉、渡辺石造、竹田角太郎、中山吉三郎、小谷畑清三郎、佐藤留古、亀谷鶴、徳光卯三郎、北田音松、阿部安蔵、彦井彦兵衛、小登馬之助、佐藤文吉、松井寅蔵、佐藤亀吉、川畑米吉、森久作、佐藤千代松、古田カル、橋本常次郎。
▲銭函村の損害 同村の損害は詳細に調査せば数万円に上るべしといふが、其の後の状報に依れば、流失家屋七棟、十二戸、半壊十七戸、浸水二十七戸、流失物置並びに鰊廊下五、半壊九等にして、漁船は大形十艘、磯船は無数流失し、詳細は未だ調査済まず。猶水難救済所建物一棟及び附属救助舟も流失したりと云ふ。
 以上の外本社特派員の出したる余市塩谷方面被害の詳報及び各汽船の遭難状況は別項に詳(つまびら)かなり。
 
 
(小樽日報 明治四十年十二月十日・第四十二号)

 

  底本:石川啄木全集 第8巻
    筑摩書房
    1979(昭和54)年1月30日初版
 

  入力:新谷保人
  2005年12月10日公開