可憐の嫁
 
石川 啄木
 
 
 
 
 区内色内町の目抜の場所にて一番大きい呉服店と云へば、名は云はずとも読者には解るべし。其恰度向ひに名高い印判屋あり。昨年の暮の頃、息子の某(二四)に手宮裡町旧塩谷街道なる生魚株式会社重役大村某の長女(一九)にて名は何と云ふか鶴の首とさへ云へば界隈にてはうんあの淑しい娘さんかと早解りする娘を貰ひしが、息子の某が好人物にて嫁の気象とよく合ひ鴛鴦(をしどり)の睦ましさ羨ましき許りなるに、引替へ同家の継母お何、何故なればか邪見の角を出してそれは/\く見る目も痛ましき許り嫁をいびり散すので、さらでも茶の湯活花に育て上げられて蒲柳の質なる嫁は遂に脊髄病に罹りしも、薬のクの字も出さぬ取扱ひに実家にては見るに見兼ね、本年夏一ケ月許りも引取りて第三火防線の三谷病院に入れ漸々全快したる上にて再び返しやりしに、継母の酷使一層甚しくなりしので近頃またまた病気再発して生命も危きより、実家の親爺は離縁沙汰にせんと人を頼みて持込みたるに、息子涙を流して一方は姑へ一方は継母へ泣きつき居るといふが、茲恰度芝居でよく見る不如帰の浪子そのままにて、不憫なるは病の床にあぢきなきを喞つ嫁が身上なりとさる人涙乍らに語りし。
 
 
(小樽日報 明治四十年十二月三日・第三十六号)

 

  底本:石川啄木全集 第8巻
    筑摩書房
    1979(昭和54)年1月30日初版
 

  入力:新谷保人
  2005年12月3日公開