下田歌子辞職の真相
乃木将軍が眼上の(こぶ)
 
石川 啄木
 
 
(一)
 
 淡紅色のリボンを叔母さんに貰つて鼠泣(ねづみなき)する十二三の娘小供でさへ下田歌子の名を知らぬはなし。華冑の間に権を張りて所謂(いはゆる)お姫様の教育を掌中に握る事二十三年の長きに及び、一巾幗の身を以て著書数十皆版を重ねざるなし。或者は彼を呼びて一代の女傑とし、特に女学生間にありては女史を以て理想の人物とする者少なからず。然(しか)も半面には女史の素行を非議する者多く、或は高等淫売と酷評する者あるに至る。而(しか)して札幌の同業北門新報に過目迄連載せられし前田曙山作の小説「錦のうら」の如きも、女史の醜行を描きたる者なりと伝へられたるは読者の既に知る処ならむ。吾人深く女史を知らずと雖(いへ)ども兎も角も歌子は一代の女傑なり。是非の問題は別として彼女が所謂男優(をとこまさ)りの豪い女なるは否むべからず。然るに昨日の東電は突如として女史が学習院女学部長の職を辞し其後任は宮内省の図書頭(としよのかみ)山口栄之助氏に決したりと伝ふ。女史の進退は云ふ迄もなく我小樽に何の関するなしと雖(いへ)ども、其身辺の真相を説くは彼女を理想とする女学生は勿論娘持つ親達の為めに多少の参考たらずんばあらず。女史既に華族社会の女子教育を左右する事二十三年に及び、前華族女学校即ち現在の学習院女学部とは切つても切れざる縁故あり。女史より之を除けば其五十余年の生涯が殆んど他に何の意味もなくなる程なるに突然の辞職は何人も怪訝(くわいが)の念に堪へざりし所なるべく、東京各紙の如きは何(いづ)れも数段の紙面を割いて其真相を伝へむとしつゝあるが、女史自身は此事を以てズツト以前よりの決心なりと云ひ、今春学年の変り目に身を退(ひ)かむとしたりしも、自分が単に教授上のみならず女子教育の学政上にも深き関係ありし故来年度の経営予算を編成し終れる今日に至り初めて断行したるものにて、今後は従来劇職にありて遠かり居りし読書に親しみ、此度親友ゴルドン夫人の遥遙英国より来朝したるを幸ひ共に閑地に退いて外国文学其他の事を取調ぶる積りなりと云ひ、別に何等伏在したる事情なしと弁明し居る由。又女史に同情する一派にては、女史は女学部長の劇職にあるに不拘(かかはらず)別に高輪の両宮殿下にも御教授申上げ、傍ら実践女学校を経営して多数の生徒を養ひつゝありて日夕殆んど寸暇もなきに、一昨年以来は女史の名を慕ひて態々(わざわざ)清国より女史の許に来る女子も多ければ、随つて清国女子教育に多大の趣味を感じたるべく、此際敝履(へいり)の如く其栄職を捨てゝ実践女学校の経営と清国女子の教育に全力を注がむとせらるゝは必ずしも理由なきに非ず、現に女史が五十の坂を越せし身を以て鋭意清語の研究に努めつゝあるが如き以(もつ)て女史の抱負を窺ふに足るべし云々(うんぬん)と説き居れるも、多少女史の性格を知れるものは茲(ここ)に多少の疑ひなき能はず。
 
 
(小樽日報 明治四十年十一月二十九日・第三十三号)

 
 
 
 
 
(二)
 
 更に女史の生涯に直接(みつせつ)の関係ある某氏が密(ひそ)かに人に語れるといふを聞くに、昨年四月の大改革乃ち華族女学校の廃止は、当時同校の学監たりし女史が如何にかして其校長たらむとすれども容易に成功し難きより一先(ひとまづ)同校々長の位地を奪はむが為めに秘密の間に計画したるものにして、運強くも其事女史の意の如く成り身は学習院女学部々長たるを得しが、女史の真意は一旦斯(か)くしたる上にて更に機(をり)を見て学習院より分離し己(おの)れ其校長たらむとしたるものの由なりしも、高潔古武士の如き乃木将軍が上御一人の大命を奉じて同院々長たるに及び野心満々たる女史にとりては限の上の瘤たるの観あり。画策茲(ここ)に画餅に帰して将軍の前には俊竦なる女史の手腕も之を用うるの所なく、往年故西村茂樹博士(はかせ)が院長たりし時登校の途上に於て免官の辞令を交付せし程の怪腕も遂に将軍を如何ともする能はざりしより、半ば捨鉢的に今回の決心をなし辞表を呈出するに先(さきだ)ちて官邸より家財を原宿の自宅に運び去るが如き挙に出でたるものなる由。又一面華族間にも気概ある連中は如何にもして女史の如き性格の者を上流子女の師範とする能はずとなし種種計画する所あり、乃木院長も亦女史の後任は必ずしも女子に限らず男子にても差支(さしつかへ)なしとの意見を把持せられし故、機敏なる女史早くも此形勢を察して機先を制するの挙に出でしものにて、女史にして自ら辞職せずんば早晩乃木院長の手より免官の沙汰を申達されしやも知れざりしなりと云ふが、之蓋(これけだ)し最も真相に近きに似たり。女史は所謂(いはゆる)女傑には女傑なり、牡丹公を初め幾百の男子を翻弄し尽して一代の女性が羨望を一身に聚(あつ)めし女史の怪腕は到底尋常男子の及ぶ所に非ず。然れども女史の如きは到底過渡時代に生れたる一個の怪物なり、「誤れる思想」の権化なり。其裏面の素行は吾人今之を叙説するの要を見ずと雖ども、表面より見ただけにて既に女史の如きは一個の変性女子のみ。明治の女性をして其天分の深き意義を忘れしめ云ふにも足らぬ虚栄に走らしめたるもの、女史の如きも亦其罪を免がるゝ能はじ。吾人は此所謂女傑の進退を観て今更に西班牙(スペイン)の一喜劇家が好謔を趣味深く感ぜずんばあらず、曰く「一生に何事も成さぬ女が一番豪い女なり」。女は矢張女らしきが好(よき)ぞかし。
 
 
(小樽日報 明治四十年十一月三十日・第三十四号)

 

  底本:石川啄木全集 第8巻
    筑摩書房
    1979(昭和54)年1月30日初版
 

  入力:新谷保人
  2005年11月30日公開