天下一品怪美人の艶書(いろぶみ) (六)
……結末(しまひ)まで読め……男殺の奥の手……
 
石川 啄木
 
 
 第六の手紙に於てムラ既に予定の如く病床の人となり、御返事次第にて一大決心を成さんとすと。ソロ/\奥の手を出し初めしが、稲葉もさる者仲々普通大抵の手段にては陥落する男にあらざりしなり。然らばムラは遂に断念したるか果た又一大決心をなしたるか。

 
噫々/\此の容体にては兎てもモウニ三日はむづかしくと信じ申候、あゝ/\もはや此世にては御目にかゝる事を得ず、まことに/\残念にてたまらず候、
とは第七の文の冒頭なり。此一通は紫情紅恨綿々として尽きず、薄墨のあやなきに涙痕未だ乾かざるの趣あり。若し之をして花の如き処女の筆なりとせば吾人また漫(そゞろ)に同情の涙を催さんとす。然れども既に読者と共にこん藤幸葉生又は長谷川葉子と名告れるムラの素性を知り且つ当時にありても八木鈴木等と醜悪なる関係ありしを知れる記者は、其言巧みに其恨み深きを見るに従つて益々此驚くべき妖婦の心事を唾棄せんと欲す。彼女が如何に斯る艶書を認むるに巧妙なるかを知らんとせば先づ頭痛を忍んで此全文を読むの要あり。











 
いかほど御願申上候ても御聞入れなく誠に/\つれなき御方と御うらみ申上候、かく御聞入遊ばさぬ御事なれば初めより妾(わらは)が心のうち申上げぬ方よろしくとは今更思ふ事もあれど、また申上げねば此まゝ浮世を去りても長へに御存知あるまじく、一層如何に御聞入はなくとも、あれほどまでに申上候事なれば今は少しも心残りは無之候、ただ此上はあの世にてあなた様の御出を待ちくらし申すべく候、さるにても少しは御推察下されてもよろしからんとかへす/゛\も御恨み申上候、もとより此身はかよわき方なるに此頃は殆んど一分間ごとに細りゆく思いたし候、あゝ/\妾が胸中有の儘申上候事なれば、いくら御聞入遊ばさずとも再び勇んであの世へ参り申すべく候、かく重体の身なれば或ひは此手紙にて此世のお別れに相成るやも知れず候も決して/\たましひは御身のそばを相はなれまじく候、此手紙も矢張り看病人の目をしのび恋しさのあまりに認め候ふものなれば乱筆の程いくへにも御ゆるし下され度念じ上まゐらせ候
  二十九日夕方            園の葉子より
此文にして若し嫋々(たをやか)なる少女の真心を披瀝したるものなりせば、仮令(たとへ)其腸鉄の如く堅き頑強漢なりとも一読黯然として身をつかるゝ物の哀れに打たれずんば止まじ。然も此の園の葉子が昨日は八木に今日は鈴木に、道ゆく時も男といふ男に秋波(いろめ)怠らぬ妖婦ムラなりとすればムラや実に艶書の天才なり。此手紙にて此世のお別れと云ひ死んでも魂魄御身の傍を離れずと云ふは、取も直さずお前は妾の云ふ事を聞かぬから死んで取付いてやるぞと云ふものに非ずや。稲葉たるもの彼が平生舞台に於て扮する大胆不敵の侠客以上に其胆玉の太からざる限り、恁う凄文句の限りを並べて脅されては遂に其心動かざるを得ず。不識(しらず)稲葉は跣足(はだし)で花道から逃げ出したるか、果又車を飛ばしてムラが垂死の病床に侍したるか、翌三十日附の第八の手紙の文は能く這般(しやはん)の消息を伝へて事愈々妙境に入れるの感あり。
 
 
(小樽日報 明治四十年十二月四日・第三十七号)

 
 
 
 
(七)
 
 死んで取付いてやるぞと脅されて、稲葉は跣足で花道より逃げ出したるか、腕車(くるま)を飛ばしてムラが垂死の病床に侍したるか、果又樽新の「掻松葉」を借りてムラの要求の如くお前の願聞届けてやるぞと返事したるか、九月三十日附第八の文は「おなつかしき喜久雄さま御袖下まゐる」と許りに此消息を伝たり。






 
あゝ/\喜久雄さま妾が此世に生れて以来本日只今程うれしく存じ候事はこれなく候、待ちに待ちたる御返事をば思ひがけなく御玉章にて賜はり候事とて、妾が病気も急に快方に赴き誠に/\難有厚く御礼申上候、死すとも此恩は忘れ申問敷御蔭を以て此分なれば全快も間近くと存じ、妾が此世にての嬉しさは又上もなく候、何卒/\御目にかゝるまでは御変りあらせられぬ様念じ上まゐらせ候、今日の嬉しさは何と申上様もなく偏へに神様の御恵みとうれし泣に泣き申候(後略)
                               三十日夜
うれし泣に泣いた後では定めし鼠泣をして紅い舌を出した事なるべしと可笑も可笑し。ムラが奥の手効を奏して稲葉遂に返書を送り、名残の手紙まで書いたムラが瀕死の病気も急に快方に赴けり。次で開かるべき舞台の光景果して如何、記者は一切を挙げて之を暗中に葬り去らんとす。
 三週問は過ぎぬ。最後の第九の手紙は十月二十一日附にて御無沙汰の申訳細々と書き列ねたる後、







 
長き秋の夜を淋しく過しては唯々思ひの増すのみにて、さりとて御目にかかれば思ふ事共少しも申上げ得ず誠にわりなく存じまゐらせ候、実は斯く日夜煩悶いたし居候とて兎ても皆様の前ありて公然御面会も出来かね候へば、妾如きに及ばぬ事とは信じ候へど、何卒御目かけさせられて召使なり下女なりに御使ひ下され度、元より覚悟の上なれば妾が一身如何様になし下され候ふとも決して/\厭ひ申さず候間何卒御聞届け下され度、御返事は樽新のハガキ集に願上候(後略)
  喜久雄さま           幸葉より
  秋風身にしむ折柄御身御大切に
此願聞届けられたりや否やは読者先刻御承知の事なるべし。吹く風身にしむ秋は過ぎて、雪皎々たる山の端に寒月の光淋しき今日此頃、稲葉は札幌にムラは小樽に文の往来ありや否や。聞くならく彼の怪美人は今某といふ踊のお師匠さんの二階に本陣を据ゑて八木ならず鈴木ならず、況んや稲葉にあらぬ或お方と忌はしの関係睦じく、朝まだきからの微酔(ほろよひ)ホンノリとして世の中の寒さも不知顔に日の暮るゝを待ち碁し居るとか。淫らなる恋の朝夕浅間しとも浅間しき話にこそ。(終)
 
 
(小樽日報 明治四十年十二月五日・第三十八号)

 

  底本:石川啄木全集 第8巻
    筑摩書房
    1979(昭和54)年1月30日初版
 

  入力:新谷保人
  2005年11月28日公開