天下一品怪美人の艶書(いろぶみ) (三)
……結末(しまひ)まで読め……男殺の奥の手……
 
石川 啄木
 
 
 第五の文は二日隔てゝ九月二十六日の日附矢張花園町よりなり、曰く、














 
月にむらくも花に嵐とか、只今参上致さんと仕度いたし居候ふに次外の(意外の積りか)じやま者参り誠に/\残念に候へども本日は御伺ひいたしかね候、何卒/\悪しからず御海容被下度候
再昨日手紙を以て申上候事本日早朝新聞を見候へども掻松葉には別に相見え申さず候事とて誠に失望いたし侯、何とぞ/\私が胸中御察し下され何とか新聞紙上にて御返事くだされ度偏へに念じ上まゐらせ候。
あゝ/\/\
一時も早く御許を得て御前に参上致し度いろ/\申上候ふて御許しを得たき事も山々有之候、何とぞ/\一日も早く御返事の程念じ上候、
いづれ御返事を待ちて後は申上べく御身御大切に遊ばされ候事専一に御座候かしこ。
 二十六日午後三時十分
 こひしき喜久雄様へ
尚々かへす/\も御他言のなき様御願申上候。
 逢ふもうれし会へぬも悲し吾が思
    しらでや君はあだに過さむ
見よ匿名の怪美人の全力を挙げて書き上げたる四通の艶書も其功なく、色男稲葉は未だ彼女に対して何等の返答をも与へざるなり。而して茲に一つ疑ひを容るるべき点あり。そは他に非ず斯くも執念なる幸葉生が二十二日二十三日の両日は各二通の艶書を送り乍ら、翌日及び翌々日は相関せざる如く過して、廿六日に至り再び此艶書を送り小樽新聞の投書箱に返事の出ざりしを督促に及べる事なり。単に表面より見れば此二日の間一日千秋の思ひして情人の返事を待ち明したりとも云はゞ云はるべけれど、我が匿名の女主人公(ヒロイン)は然く未通女(おぼつこ)臭き女ならざるを如何せん。記者は茲に至りて此二日間の出来事を説かんが為めに読者との前約を破りて先づ此の覆面の怪美人が面貌(おもざし)を剥ぎ取らざるべからず。鳴呼天が吾人が眼前に投げ出したる美しき謎語(なぞ)は今如何の解答を得んとするか、知らず幸葉生の本体は誰ぞ。
 
 
(小樽日報 明治四十年十一月二十九日・第三十三号)

 
 
 
 
(四)
 
 水茎の跡こまやかに情を籠めて俳優稲葉を口説き落さむとしたる匿名の怪美人が、日に二度づゝの矢文に猶物足らぬ気なりし執心の廿四、五日の両日は涼風のそよとだに音信もなく過したる其裏面の真相如何。話変つて当区相生町二十八番地に信善屋と云へば誰一人知らぬ人もなし、公債株式の売買に各新聞の広告を賑はせて一寸した外出にも髪の毛一筋乱れぬハイカラ男、成上りの大山師と心ある人は相手にせざれど、其処の底はイザ知らず表面は飽迄働盛りの俄紳士相応に顔も売れ出したり。読者は此信善屋の名を聞くと共に直ちに或不快なる響きありて脳底を刺激するを覚ゆるなるべし。実にや彼の信善屋の中村が先妻ムラの容色を利用して奇策縦横、今の財産を造り上げたる末、同居し居たるムラの妹のフサと云ふ淑徳なる婦人を手込にして遂に同じ堕落の淵に引づり落し、ムラを追出して不義の逸楽に人の目揮らぬ所業は既に幾度か新紙の筆誅(ひつちゆう)を享けたる事とて、札樽の読者誰一人此醜聞を知らざるはなかるべし。既に信善屋の名を知り其一家の真相を知る者は必ずやかの天下の妖婦ムラの名を聞くと共に一種の好奇心を禁ずる能はざるものあらむ。彼女は青森県弘前市本町百十五番地現戸主佐藤安事佐藤惣助(七五)の長男源太郎(五〇)妻イト(四八)との間に生れたる二女にて兄なる竹次郎(三〇)は無類の破落漢(ごろつき)にて県下に知らぬ人なく、妹のムラは亦肩揚とれぬ頃よりの淫行(いたづら)噂も度を重ねては土地の三面子が筆に上れる事幾度なりけむ。当時歩兵軍曹なりし守屋某とわりなき契りを重ねて、末には公然夫婦になりしも折柄弘前に興行中なりし壮俳の某と出来合ひて手に手を取り海蒼々とした青森から恋の汐路の津軽の瀬戸、好いた同志の同行(みちゆき)面白可笑しく北海道に渡り来てより、例の壮俳に見捨てられ仕様事なしの水仕稼業中信善屋の中村に拾はれて三十八年三月十五日結婚の届出をなせしが、其後の事は書くも忌々しき罪の数々重ねしといふが、妹のフサに夫を寝取られしより今年の春自暴(やけ)を起して郷土へ帰り又も昔馴染の守屋(今は少尉)と密会して焼木杭に火がつき大騒ぎの揚句再び小樽に舞戻り来て、かの老狒々(らうひゝ)八木周蔵及び風来者鈴木らと淫行を恣にし、信善屋を相手に大談判の末代価六百円の丸井にて新調の衣裳と二千円の証書を手切に本年十月十一日離婚の届出をなしたる前後の事情は過日某新聞に依りて剔抉(てつけつ)されし処なれば、読者既に之を審かにしたるならむ。或時は処女の如く或時は芸妓の如く、又或時は淑徳なる夫人の如く、変現出没実に端睨(たんげい)すべからざる美人ムラや実に怖るべき妖婦なり。而して読者諸君の既に感知したらむ如く幸葉生とは此妖婦ムラが仮の名なりしなり。謎語(めいご)既に解けて怪美人の面絹は剥がれたり。ムラが稲葉に対するの情は果して真なりしか、果た又彼の二日問は如何にして過されしか、更に問ふ、艶福家(いろをとこ)稲葉喜久雄の之に対せる所如何。
 
 
(小樽日報 明治四十年十一月三十日・第三十四号)

 
 
 
 
(五)
 
 幸葉生のムラは二十四、二十五の両日間如何なる事を為し居りしか、曰く彼女は区内中央停車場前小島旅館の二階に在りしなり。小島旅館は乃ち過日同業北門紙上に醜名を流したる東京興国貿易株式会社員と称する鈴木次郎(三〇)の宿所にはあらざるか。ムラは既に天下の妖婦なり、鈴木は随所に情婦を拵へて歩く自称色男なり、二人既に一室に集る、茲に脚色せられし所作事は間はずして明かならん而巳(のみ)、記者は之以上に此両日間の秘密を剔抉するを欲せず。
 妖婦ムラ二日間を鈴木次郎が宿に潜み帰りて見れば稲葉未だ何の返信を与へず、且小樽新聞は未だ此妖婦が淫心の犠牲とならざるなり。然るに驚くべしムラ既に鈴木と通じ老狒々八木周蔵と没義道の交りを結びつつ猶且つ飽くを知らざる野獣の本性は、更に稲葉に向つても已む事を知らざるなり。茲に於てか記者は彼の女狒々が第六の艶書を開封せざるべからず。











 
さく日は御うかがひ申さず誠に失礼いたし候。
なれどもあなた様には御かはりもなう何よりの御事にて誠に御めでたう、私の嬉しさも亦上もなう候、降りて私事は二三日前より病床の人と相成候、ただ/\日夜恋しき/\どなた様かの御身の上に心を走せて何事も得知らぬ事も有之候、何卒/\御しいもじ被下てや、さて誠に御はづかしき事に候へ共過日来御たのみいたし候事毎日/\早朝新聞を見候ふも一向に見あたり申さず定めし失礼なものよと御立腹遊ばしての御ことにや、若しかくある時には何と御わび申上候ふてよきか、あゝ/\/\若し斯くの時には私の命を犠牲にいたしても必ず/\此恋は為遂ぐる事に致すべく何とぞ/\御しいもじ下されて樽新のはがき集にて御返事被下候様神かけて念じ上まゐらせ候、御返事次第にて一大決心いたすべく、なれども只今の処にては何ごとも御他言の無き様に御ねがひ申上候(後略)
  二十八日              こう葉生より
 恋しき/\喜久雄様御袖下
見よ彼女は予定の如く病床の人となり御返事次第にて一大決心を起さんとす。男殺既に予定の行動を取り、漸く奥の手を繰出さんとするなり。稲葉遂に返事を与へたる乎、果たまたムラ遂に一大決心を起したる乎。
 
 
(小樽日報 明治四十年十二月一日・第三十五号)

 

  底本:石川啄木全集 第8巻
    筑摩書房
    1979(昭和54)年1月30日初版
 

  入力:新谷保人
  2005年11月28日公開