天下一品怪美人の艶書(いろぶみ) (一)
……結末(しまひ)まで読め……男殺の奥の手……
 
石川 啄木
 
 
 水茎(みずくき)の跡こまやかに情を込めて墨色猶新たなる前後九通の封書(ふみ)、紅梅の陸奥(みちのく)紙に万金の香を燻(た)き込めしは平安の昔の風流と聞きしが、之は今様にブアイオレツトの高き薫りを濺(そゝ)ぎし残んの趣き云ふ許りもなく奥床しければ、何処の姫君が玉章(たまづさ)ぞと取る手わななかすは世馴れぬ記者ばかりにもあらずかし。日附は九月二十二日小樽局の消印鮮かにて、差出の主が名は住の江町三の一こん藤幸葉生と許り。

 
帰りましてから一ぱい頂載いたしました事とて字も余程めいていして居ります、御わかりに成りません処はどうぞ御察し読を願ひます。
と冒頭の一語先づ胆(きも)太からぬ男は目を廻すなるべし。

























 
あゝ/\/\
稲葉さん、かく失礼な事申上ましたら嘸御立腹遊ばすかも存じませんが、とても申上ませんと私毎日毎晩たゞ煩悶と胸の苦しさを増す許り、かく苦しくかんじますとただもう御なつかしさがね、
あゝ/\/\
何卒/\御察し遊ばしてどうぞ御聞きとり下さいませ、一生の御願ひで御座います、実は私昨年の夏大黒座へ参りましてあなた様を御見受いたしましたの、処が一目御目にかかりましたが何となく御なつかしくてたまりません。その後たび/\伺ひましたがあなた様は少しも御気が有りませんから一向見むきをして下さいません、あゝ/\、その時の私の心はどうでせう、
噫々/\、ままにならぬは浮世とは此事でせうか、皆様の前が有りまして何ともいたし方が御座いませんでした、その後あなた様には何処へ御出遊ばしました事かすこしも御様子はわかりませんので誠に/\しつぼうらくたん致しました、あゝ/\/\とてもかなはぬ恋とあきらめましたが、あゝ/\/\かうあきらめ様と存じますと猶さらあきらめる事が出来なくなりますのみならず、毎晩/\あなた様と御会ひ申したゆめばかり見るのですもの、あゝ/\/\、かく成りますともうこらへる事が出来ません。恋しくつてなつかしくつて毎日/\泣いて日を暮して居りました、処が本日不計(はからず)もあなた様には大黒座へいらして有るといふ事を承りまして、すぐさま参りまして舞台で御目にかゝりました、噫々/\、此時の私の心もちつたら何とも申上様が御座いません。日頃の思ひが一時にはれた様なかんじがしましたが、やつぱりしたしく御目にかかつて御話を致し、又あなた様からも承はりませんととても私の胸の中がはれませんですから、今晩も伺ひますから其折都合を見まして御目にかかる事に致します。どうぞ其折には御見すて無く御目にかかれます様に御願ひ申上げます、まだ/\申上たい事が御座いますが委しい事は御目もじの上にて万々申上ます。かしこ。
 二十二日午前一時三分
                      幸 葉 生(かうえふせい)
すら/\と厚目の江戸川にかき流したる手際何れ相当の学問もある婦人には相違なし、偖此艶(なまめ)かしき文の宛名は誰、読者は既に察しならんが、



 
大黒座にて
 なつかしき
  伊 な 葉 様
       御袖下へ
とは、イヨー勇肌(いなせ)の喜久雄さん色男の標本と叫びたくなるなり。
 最初の一通は香水の残んの香と共に之にて巻き納めぬ。アト八通に封じられたる秘密は抑々如何なる事ぞ。それよりも先づ知りたきは幸葉生と名告(の)る女の素性なり。住の江町といふも宛にならず、こん藤幸葉生とは況(ま)して之戸籍面にあるべき名にあらず。芸妓か娼妓か庇髪の女学生か、果たまた良家のお嬢さんか、或は又金殿玉楼にありて綾羅(りやうら)に身を包む富豪の奥様か。記者は先づ明日の紙上より残る八通の秘密を読者諸君と共に読んで後徐ろに此幸葉生の身元を探らんとす。玉手匣開けての後に何者の飛び出すかは疑問なり。
 
 
(小樽日報 明治四十年十一月二十七日・第三十一号)

 
 
 
 
(二)
 
 幸葉生とは抑々誰が世を忍ぶ名なるぞや、之天が読者諸君と記者との前に投出したる美しき謎なり。昨紙此怪美人の艶書を公にしてより此稿に筆を下す迄の間に記者は三通の投書に接したり。第一は曰く小樽高等女学校の○年生に幸葉女史と名告(の)る今小町あり、怪美人とは果して彼女の事なりや否やと。第二は曰く小樽の富豪の嬶(かゝあ)で役者狂ひをせぬものは珍らしいが、此怪美人は浜の○○回漕店の白粉夫人ではありませんかと。女学生か白粉夫人か天の与へたる謎はしかく容易に解き得るものに非ざるなり。第三の投書は、更に一層奇警なる解答をなして曰く、幸葉生とは小生の友人にして女に非ず、髯を生やした男なり、蓋し彼の艶書は同人が一寸役者をからかつて見たものならむ、貴社よく事実を精探せずして他日世の物笑ひとなる勿れと。好意多謝す然れども大眼生君足下よ、足下若し来つて記者と共に此数通の艶書を見ば之果して男の書(て)なるか女の書(て)なるか一目にして瞭然たらむ、且不敏と雖ども我杜の外交担任者は左様な頓馬に非ず、願はくは心を安じられよ。閑話休題、記者は前約を重んじて茲に順次残る八通の秘密を読者の前披(ひら)かむとす。第二の文は第一と同じく九月二十二日の日附なり。古へは鹿角(かづの)の国の村長(むらをさ)が子細布(ほそぬの)の政子が幼歌(をさなうた)に迷ひて千束(ちづか)の錦木を夜毎に運びしといふが、之は文明の今日日に二通の艶書も手取早くて、便利此上もなき仕組とや云とむ。「前略御免下されたく候」と病床(とこ)の上の走り書きなれば、字も少し乱れて墨の色あやなくふり掛し香水の香ひのみぞ香し。








 
本朝は誠に失礼なる手紙差上候なれば定めし御はらだち遊ばされ居候事と御察し申上候、何卒広きみこころもて平に御許被下度偏に念じ上げ参らせ候。
偖とや本日早く御伺ひ申上ぐべき処過日より風引き居りしを昨夜あまりの恋しさに参り候事とて、帰宅以来非常のねつの為「ノド」はれ頭痛いたし只今は床につき居申候事なれば、とても今夜は参上致しかね候、何卒/\不悪御許被下度念じ上候。いづれ全快次第参上致すべく候へば何卒其折にはよろしく御願申上候。先づは御詫びまで。
                             かしこ
                        こ ん 藤
  恋しき喜久男様
と書き流して別に一葉の紙片を巻き込めたり。何ならむと推披(ひら)けば、


 
あけ方の鳥の泣く音に消え去りぬ
   ゆめの中なるなつかしき人
              葉  子
これも封筒には住の江町三の一近藤葉子と記したるが、更に第三の文を見れば、花ぞの町十四長谷川幸葉拝と男めける求振(かきぶり)拙なからず、日附は二十三日なり。






 
きみがため捨るいのちは惜しからず
   親をやしのうえにしあれども
斯くまでに思ひつめ居る事なれば何卒/\御他言の無きやう念じ上参らせ候かしこ。
 二十三日                   幸 葉 生
稲葉様御袖下
喜久雄さま秘めさせ給へたゞ一つ
   こゝろの奥に咲き残る花
心物に感じて動けば自ら諧調を成し乃ち詩歌に現ると。誠や斯くまでに思ひつめては達磨大師も足を出して踊り出しさうなもの、恋する人に歌の二つ三つ朝飯前の仕事なるべし。但し記者の素人考へにては斯くまでに思ひつめたなら耻も外聞もあつたものにあらず。命も惜しくないのだから他言されたつて構はぬものかと思へば、昔から恋は思案の外と云へば然う木強漢(ぼくぎやうかん)の論理があて嵌(はま)らぬも無理とは云はれまじ。第四の文は矢張り花園町十四番地からにて日附も同じ二十三日なり。

















 
日夜の煩悶にて頭痛の為め乱筆平に御許被下度候
 わりなしや寝てもさめても恋しさか
    こゝろを何地(いづち)やらばわすれむ
喜久雄様誠に失礼で御座いますがあなたに奥様が御有んなしつて……
あのね、実際私かう毎日/\恋しいなつかしい、あゝ/\稲葉様に御目にかゝつて私の胸の中をよつく御話申上げて、さうして御許を得て召使なり下女なりにして下さいまして、私をあなたの御そばに置いて頂くやうにと毎日/\それ許り思ふて居りますの、だけれど私とても公然とは御目にかかる事の出来ません身の上に成つて居りますけれども、兎てもお目にかゝらずには居られません、此まゝ毎日煩悶して居りましたら私キツト病床の人になります、何卒して私の心中を御察し遊ばして願はくはどうぞ私しをあなたの御前において下さいますやうに私一生の御願ひ、何卒何卒御許し遊ばして下さるやうひれ伏して偏へに希ひ上参らせます。
もし御聞き入れ下され候はゞ誠に恐入り候へども小樽新聞の「掻松葉」へ「幸葉生へ申しそなたの願承知いたし候」と投書被下度願上候、又御承知出来不申候時は出来ぬと御投書願上候、此手紙御落手に相成候は早速御投書願上候、いづれ又委しき事は後便にてゆる/\御自愛専一に遊ばさるやう念じ上まゐらせ候可賢(かしこ)。
  二十三日            幸  葉
 恋しき/\喜久雄様御懐へ
読者諸君よ、諸君は此処まで読み来つて果して何の感がある。公然と御目にかかれぬ身の上と自らも云へば、芸者や娼妓はた野放しの自堕落女でなきは明らかなる。親の慈みに隠まはるる令嬢か、果た夫あり子ある家庭の女王か、何れにしても身を捨て思ふ男の召使なり下女なりにでも成らむといふは並大抵の事に非ず、夫れ小樽新聞の掻松葉を利用して以て相互の意志を通する機関とせんとするに至つては奇想天外と云ふべく、天下幾万の恋人未だ嘗て斯くの如き妙策を案出したる者あらざるべし。而して艶福家(いろをとこ)稲葉君が如何に之に応じ、覆面の怪美人が更に奈何の策を廻して己が熱火の如き慾情を遂げんとしたるか、一波起りて万波之に亜ぐ、事件は愈々出でゝ愈々奇なり、読者は明日の紙上に於て此解き難き継語の一端を解知する事を得べし。
 
 
(小樽日報 明治四十年十一月二十八日・第三十二号)

 

  底本:石川啄木全集 第8巻
    筑摩書房
    1979(昭和54)年1月30日初版
 

  入力:新谷保人
  2005年11月28日公開