出没自在の美人
 
石川 啄木
 
 
 
 
 何の妖術を心得てか雲の如く現はれ雲のごとく隠れ、住家は鞍馬(くらま)の奥とも裏長屋の魔屈(まくつ)とも知れぬ出没自在の女あり。何処の柳の陰から出て来て人を驚かすか計り難ければ、読む人よく/\注意し給ふべし。区内若竹町水産学校付近宮田某の長女サダ(二一)といふは数年前に家出したる儘掻暮行衛(かいくれゆくゑ)の解らぬ幽霊娘なるが、札幌で見た事ありといふ人もあれど何処で何をして今迄世を送つたやら本人ならでは知る人もなし。此奴今月初め頃より当区に彷徨(うろつ)き廻り居る模様にて、行当りバツタリ知人と否とに限らず人の家を訪ねては口から出まかせの法螺(ほら)を吹き、都合よしと見れば一晩位づつ泊つて歩く由、何の為めに訪ねて来るやら元より其目的知る由なけれど、或処へ行きては札幌高等女学校補習科の生徒なりといひ、又相生町赤木病院の看護婦なりと云ひ触(ふら)し、別の処では今度量徳女子小学校の教員に採用される事になつたなどと根も葉もない嘘を吐き、更に滑稽極るは妾は金子代議士の弟の息子の家妻で御座いますなどと吐(ぬか)すに至つては最早手のつけ方もない話しなり。公園の近所に居るんだといふ噂もあれど、腰から下の無い幽霊の居所怎せ突留め得べき筈もなし。容貌(かほかたち)も相応にて服装(みなり)は仲々驕(おご)つて居る由なれど、本人は佐藤サダ(一八)と名告り居ると云ふが、来訪の目的の解らぬだけに一層警戒の必要あり。或人は高等淫売の類ならむと云ふが或は左もあらむ。出没自在の美人、高足駄の天狗が二十世紀風に化けたのかも知れず。
 
 
(小樽日報 明治四十年十一月二十六日・第三十号)

 

  底本:石川啄木全集 第8巻
    筑摩書房
    1979(昭和54)年1月30日初版
 

  入力:新谷保人
  2005年11月26日公開