(にく)()き夫婦
 
石川 啄木
 
 
 
 
 小樽区色内町の通に柴田亀太郎(三三)といふあり。女房八重(二七)との夫婦者、店にも台所にも人を使ひて場所柄だけに寂れの見えぬ店先の賑やかさは他家(よそ)に変りもなけれど、隠れたるより現はるゝはなしに茲に図らずも耳に入りたる事こそ聞き捨てがたや。二人共播州高砂在の生れにて塩辛い川を越え来しは何年前なりしか明かならざれど、現在の所に店を出してより雇人(やとひにん)、下女(したはたらき)の代る事数を知らず。短かきは一日二日長きも一月と保たぬの取引先の店々、さては出入の魚商八百屋柴田さんには女中が何人居るかしらと驚きしも無理ならず。然し乍らこれ深き理由のあるにもあらず。女房八重は人並勝れた吝嗇(しみつたれ)の癇癪持(かんしやくもち)、近所隣りの指弾(つまはじき)にアノ面見れば虫唾(むしづ)が走ると迄云はるゝ女なれば、使はるゝ者が落ち付かぬも無理ならず。茲に咋年の八月、高島村の坂本某が周旋にて同村三浦某の次女トミ(一七)といふを雇入れしが、田舎者には珍らしき温厚者にて丸ポチヤの頬の白さも悪からず。漁家の育ちの世の中見ず、汽車に乗つた事もなければ社会の東西知らん筈もなし、唯一向に奥様/\と八重を仰ぐ事日も夜も変らざれば、八重が得意は一城の主にでもなつた気になり、何事にもおトミ/\と気を弛(ゆる)し居りしに、一年前の十二月、亀太郎夫婦は所用ありて大阪なる親元に訪ねゆきしに、只ならぬ身なりし八重、長の汽車路が原因にて大阪に着くと間もなく流産し、産後の肥立面白からずして某病院に入院までしたけれども/゛\しからず。さりとて商売向きも捨置かれずと夫亀太郎のみ帰り来りしは今年三月の末なりしとかや。留守中の働き振殊勝ぢや/\、之はお前へ土産だとトミを膝元に呼び寄せての下され物は何なりけむ。賞められては悪い気のせぬおトミ、有難う御座いますと莞爾(につこ)としたる頬の紅味(あからみ)、亀太郎は何と見しや鬼の居ぬ間の心洗濯、俺は主人なれば憚かる事かと萌(きざ)す心は一寸した機会ながら、此一瞬にアタラ人間も獣の群に堕つるぞかし。時は三月、都の空は知らねども北国の雪まだ深きに、十七の娘心には早春風のそめきて情の下草芽をや吹き出でけん。元より二人はわりなき契をこめて閏(ねや)の燈火(ともしび)外には洩れず。亀太郎恁うなれば平生の節倹主義も忘れたやら怎したやら、今日は衣類明日は帯とおトミを喜ばせ居りしに、大阪にありし八東病漸癒えて六月初め飄然(へうぜん)と帰り来りぬ。一日トミが流元(ながしもと)にて立働くを見るに、着物の裾より現はれし腰巻の色怎(どう)やら見覚えありと不審を起し段々行李(かうり)箪笥(たんす)の底を取調べしより悶着(もんちやく)初まり、トミの所持品悉皆(しつかい)出さして見れば、此帯、彼の袷、さては胴締半襟の果てまで以前八垂の所有(もの)なりし物のみなれば、何と図太い盗賦奴(ぬすとめ)と責め立つるに、トミ包み切れず委細白状して了ふ所は流石に悪びれぬ娘気の哀れにも哀れなり。八重が怒りは譬(たと)ふべきものもなく早速トミの親爺を高島村より呼び出して引取らせしが、収まらぬはトミが腹の中、因果の種を宿して六月七月(むつきなゝつき)と日の経てば色気なき小供の目にも付くぞかし。九月十月月未だ満たざるに愁傷の極(はて)の流産とは聞くだにも痛まし。産褥(さんじよく)に枕重くて恒例の二十一日は経てどもおトミが足は立たず、親爺某手を擦つて柴田家を訪へども、お前に用はありませんと八重のみならば未だしも亀太郎迄口を揃へて剣もホロロの挨拶に、哀れや哀れ可愛の娘を蕾(つぼみ)ながらに散らされし恨みの老の涙尽きずとか。悔いて泣き沈むトミも初めの心得善からざりしとは云へ憎むべきは亀太郎なり。自ら手折りし蕾の枝を溝に打捨てゝ顧みざる心根、不徳とや云はむ、無情とや云はむ。過ぎ去りし罪は罪として茲に心を入替へ憐れむべきトミが病を救ふの策に出でずは、吾人更に筆を改めて汝が罪を列挙し以つて汝の頭上に社会制裁の斧を加へむとす。
 
 
(小樽日報 明治四十年十一月二十三日・第二十九号)

 

  底本:石川啄木全集 第8巻
    筑摩書房
    1979(昭和54)年1月30日初版
 

  入力:新谷保人
  2005年11月23日公開