主筆江東氏を送る
 
石川 啄木
 
 
 
 
 窓うつ夜半の雨は、唯しと/\として、共囁きの深き言葉、人の身の我等に聞分くべくもあらず。打沸(たぎ)る白湯(さゆ)の音は、三尺の炉中ながらに深山の松風を立てたり。燈火かきたてゝ独り物思ふ。
 人は何処より来り、何処に住くや、人之を知らざる也。之を知らず、然(しか)も人の来り又去る、亘暮(たんぼ)時を期せず、其数かぞへ難く其跡趁(お)ひ難し。我何が故に生れ、何が故に活くるや。我之を知らざる也。之を知らず然も我已(すで)に業に生れて今活けること実に斯(かく)の如し。活けりと雖(いへ)ども未だ何が故に活くるを知らず、孰(いづく)んぞ又将に何処に向うて行くべきかを知らむ。飢を知りて而(しか)うして喰(くら)ひ、渇を覚えて而うして飲む。且喰ひ、且飲み、為さむとして為し、言はむとして言ひ、歌はむとして歌ひ、眠(ねむけ)を催して初めて眠る。身市井に居して、然も殆んど暦日の要を見ず、日夜生活に追はれて、遂に生活の帰趨を知らず。這間(このかん)の消息、之を赤裸々に思念し来れば、人間畢竟禽獣と何の択ぶ所なき也。我に親あり、親に親ありき、其親にも親ありしならむ。天下幾億の人、親なくて生れし人はあらじ、其親に又親ありしならむ。然らば人類一切の親は誰なりしぞや。一度(ひとたび)此問題に触るゝもの、何人かよく之を知解して、一より一を減じて残る処零(れい)なりと云ふが如きを得べけむ。人は唯茲に至りて一種説くべからざる情緒に動かざる。夫神は遂に知るを得ベからずして、唯感ずべき而巳(のみ)。神巳に人間感覚の上に立つ。知解の縁を絶つが故に、人々心に描く所各々異なり、或者は之は白とし、或者は之を黒とし、朱とする者あり、青とする者あり。天上天下独一の神なるものあることなし。神は所詮人の作る所。互ひに神を信ずといふ者にありても、汝の神必ずしも我が神に非ざる也。茲に於てか、吾人が太陽を指して以て宇宙間唯一の天日とすれども更に幾多の恒星の在るが如く、真に万人に光被する神なるもの遂に得べからずして、神は畢竟(ひつきやう)個人の所有に帰す。茲に汎神論あり、万有を網羅して無限の調和を観じ、一切に神性を附与すれども、之亦、無より有を見出したりとする一神論と同じく、遂に有を有とするに過ぎず、現実より出立して再び現実に赴き、個人より出立して再び個人の肯定に帰す。人は遂に、其一切の知識を聚(あつ)めて確実に知り得る所は、唯此現在の一瞬時に於て我自ら我が足を以て地上に立てりてふ一事に過ぎざる也。然も此立てる処は抑々(そもそも)何処なりや。人之を知るを得ず彼の一瞬時と此の一瞬時と、亦相同じきが如くして同じからず。同じからざれども亦等しく之亦永遠の一閃光のみ。等しく永遠を呼吸して、然も此一瞬時の我と彼と、彼が一瞬時の我と此一瞬時の我と、共に相同じからざる也。人生は遂に解くべからざるが如し。生ある者必ず死す、何故に必ず死せざるべからざるか。人孰(いづく)んぞ之を知らむ。逢ふ者は必ず別る。何故に必ず別れざるべからざるか。人孰んぞ之を知らむ。
 一切を観じて遂に一切を得る能はざりし時、人は茲に一切を否定し初む、既に一切を否定し尽して、然(しか)も遂に否定し能はざるもの一あり、白己の存在即ち之也。I think, I am. とは実(げ)になべての懐疑家が到達する唯一の結論なりけり。之を得ざる者は或は虚無に落ち、或は無為に入る。無為に入れる者は肉のみ生きて其霊死し、虚無に落ちし者は肉霊共に死に達す。既に自己の存在を肯定し終れば、茲に復一切を肯定し始む。果然、否定は肯定に終れる也。否定は破壊にして、肯定は建設也。既に一切を破壊し尽して然も遂に白己を破壊する能はず、自己を建設して然る後に再び一切を建設したる者にとりては、世界は乃ち自己の世界也。自己の世界なるが故に我自ら之を司配せむとし、我自らを以て一切の標準とせむとす、既に我は我を標準とし、彼は彼を標準とし、人々各々自己を標準として此世界を司配せむとす。茲に於てか葛藤起る、此相対時せる力が互ひに一致する時平和あり、相反揆(はんき)する時戦あり。平和と戦争は畢竟之人生の大葛藤の両面のみ。かるが故に、人は何処より来れるを知らず、又何処に去るべきを知らざれども、既に生れて我と我が足をもて地に立つ上は、必ずや先づ刻々に戦ふべき運命を有す。戦なるが故に真面目也。我等は人生を解くこと能はず。然れども人生の真面目なるを看る。事実は必ずしも解説を要せずして承認すべし。人生の真面目なるや殆んど峻烈に過ぐ。
 人の世は戦也、永劫に沈痛なる戦也。航海に疲れたる者平安を得んとすれば先づ其船を捨てざるべからざるが如く、この世の戦に疲れたる者平安を得んとすれば先づ生命を擲(なげう)たざるべからず、長(とこし)へに外洋に向つて鎖(とざさ)れたる港湾は墓門の外にあらざる也。されば人は其呼吸の続く限り必ず戦はざるべからず。戦は動なり、一処に留まらず。一処に留まらざるが故に、相逢ふ者は必ず相別る、噫(ああ)、別離の涙、古往今来、止めむとするも遂に止むべからざる也。往来皆此路、生死上同帰(せいしきをおなじくせず)、仮令(たとへ)、相逢うては旅食を伝へ、別れに臨んで征衣を換ふの友ならずとも、別れは世の習ひにて、辛からぬ別れといふものを聞かねば、在りし日を思ひて行く人を忍ぶに、誰かまた凄然として落暉(らくさ)を望むの情なからむや。
 主筆江東岩泉氏、昨日を以て突如「最後の一言《を草せらる。言々情切にして、之を読む者声涙共に下る、今日に至り、改めて我等編輯局裡の残党に慇懃なる告別の辞を賜はりぬ。
 噫、足下茲に我が社を去られむとす。
 我が社創業多事の秋(とき)に当り、万難を排して此編輯局を組織せられ、且つ内外一切の経営に寝食を忘れて尽力せられし人は乃ち足下には非ざりしか。此難局に処し、一面我等を誘掖(いうえき)し教導し扶助しつゝ、社の今日を致せるもの、其功を負ふべき人足下を措いて又誰かある。我等親しく足下の恩義を享けたる者、身もとより上肖と雖ども木石に非ず、長く肝に銘じて足下の徳を忘るゝなけむ。元勲すでに去る、将を失うて卒豈(あに)乱れざらむや。嗚呼(ああ)我が日報の前途を奈何。残党微力にして孤城を守る、感慨おのづから禁ぜざるものある也。
 机を並ぶる四十余日、号を重ぬる僅かに二十有三。足下と我等と、何故と然(しか)く速かに別れざるべからざりしか。離合もとより天にあり。自然の力なる而已(のみ)焉。今夜独り孤燈の下に此別離を思ひ、はしなくも茲に峻烈面も向け難き人生の真面目に想到し、覚えず泫然(げんぜん)として感極まる。噫足下、人の世はげに戦ひの場なりしぞかし。上文恥多しと雖ども、聊(いささ)か感慨の一端を書して、白兵戦場足下を送るの辞とす。頓首。(十一月十六日夜半)
 
 
(小樽日報 明治四十年十一月十九日・第二十五号)

 

  底本:石川啄木全集 第8巻
    筑摩書房
    1979(昭和54)年1月30日初版
 

  入力:新谷保人
  2005年11月19日公開