寡婦の涙
雨よりも繁し
 
石川 啄木
 
 
 
 
 小樽区竜徳町(りうとくまち)一番地に音喜多(おとぎた)キク(五三)といふあり。五十路を越した女のそゝけ髪、色浅黒く頬落ちて俯ける眼の湿勝(うるみがち)なるは、夕暮の街に一目見てさへ涙も落すべく気の毒なものなるに、之は又誰一人頼りもなき独身住(ずみ)と聞いては猶更に哀れを催すべかんめる。極く親切な人だが可哀想なものだと近所の噂何日しか記者の耳にも入り聞き込みし節々にテツキリ隠れたる事実あらんと精探を遂げたるに、雨より繁き寡婦が涙の一分始終、裏には世にも憎むべき不徳漢(ならずもの)の潜み居て、事の茲に到れる話の筋は聞くだにも痛ましく、思出の糸の長々として物語におキクが膝を濡せし涙を目前(めのあたり)に見ては、彼の不徳漢の罪此儘に許すべきにあらず、茲に委曲を記して筆誅(ひつちゆう)を加ふる事としぬ。偖(さ)此おキクは元檜山郡江差の生れなるが、幼きより娘小供に似合はぬシツカリ者にて、今より十七年前女乍らも独立の生計(くらし)を立つるだけの仕事がなくてはと遙々出京して石蝋製造を習えて帰り、二十八年夏の頃世話する人ありて、目下区内信香裡町(のぶかうらまち)十三番地山本印青木リカ方同居の山形県西村山郡白岩町生れの保科市兵衛(五二)と云ふを迎へて結婚せしが、月下氷人(なかうど)の話では漁業家で相当の才能ある人との事なりしが実際は文無しの理髪師(とこや)なりし事とて一時は聊か想像(あて)が逸れて落胆(がつかり)せしも、若い娘盛りの頃ならいざ知らず、好い年をして居乍ら一旦嫁いだ男と今更別れ沙汰も大人気なしと、単衣一枚で来た市兵衛に自分のものを縫ひ変へては絹布許り着せ忠実(まめやか)に月日を送り居りしが、市兵衛頗る根性卑しい奴にて婚姻後程もなく拾得物隠匿罪にて拘引せられし事もあり、些少(すこし)の事だつたから厳しく将来を戒められて放還せられしが、日々の食物にまで下司張るといふ風(ふう)。剰(あまつ)さへ少しも文字を知らぬ所から事々に邪推深く、親類から手紙でも来れば直ぐ嫉き出して弁解(いひわけ)も聞かばこそ滅多打に殴り付けるので、忠実(まめやか)なおキクも辛抱し兼ね如何したら可からうと思案に暮れ居りし折柄、実家で小樽に移住せしよりキクも市兵衛と別れて両親の後追ひ来しは今から七年前(ぜん)の事なりし。斯くて住の江町に石蝋製造業を初め仲々売行よくて思ひの外の繁昌なりしが、市兵衛かくと噂に聞いて早速尋ね来り、知る人を頼みて仲裁して貰ひしかば、人手不足の時でもあり切角詫を入れるから又復連れ添ふ事となりたるも、市兵衛少しも家事を気にかけず、毎日在金を持出しては酒色に耽るといふ有様。キクは耐へらるゝだけ耐へて見んと不平一つ云はず自分一人にて雇人共と共に精を出すので店は日増に繁昌し行けども、利得の多くなるだけ市兵衛の費消方(つかひかた)も烈しくなり借財漸く嵩みゆくより、キクは実家に泣きついては何とか彼を埋合せて置きしも度重なりては実家でも承知せず、彼方に借り此方に借りて遂には二千円許りとなり如何にしても首が廻らぬ沙汰に市兵衛も途方に暮れ、金策と称して函館に逃げ行きしは去る三十六年三月中の事なりしが、其後キクは同町中井某なる親戚より補助(たすけ)を得、目下の竜徳町に引移りて職工も雇入れ手広く営業を初めしかば、程なく販路も拡がり以前よりも一層繁昌せしが、斯くと聞きたる市兵衛は復又小樽に舞ひ戻り来りぬ。(つゞく)
 
(小樽日報 明治四十年十一月七日・第十五号)

 
 
 
 
 
   (二)
 話変つて信香裡町十四番地青木リヨ(四三)と云は、再咋年夫某に死に別てより長男三平(一九)長女トク(一六)次女キタ(一二)三女タツ(一〇)次男伝治(七)五人を養ひつゝ荒物店を出し居る者なるが、夫は小樽第一流の金満家として誰知らぬ者なき遠藤又兵衛氏の従弟なりしより、某生存中に何呉れとなく遠藤家の世話を受け居りしも、其死後リヨが素行修らず屡々醜聞を流すより出入を禁じられあり、若い時からの淫事数へきれぬ女なるが、荒物商を常むが縁にて石蝋を音喜多方より仕入るゝ為め一昨年頃より市兵衛と思はぬ関係を付けたるも、キクの手前世間の手前公然(おほびら)な事も出来ず密かに不義の快楽に耽り居たり。之だけたらばまだしもの事なるに、逢ふ夜/\の重なると共に茲に市兵衛とリヨの間に憎しとも恐しとも云はん方なき謀計こそ成立ちたれ。彼等は是より機に触れ事に応じて音喜多家を覆滅し石蝋裂造の株を奪ひ取らむがために種々陰険なる行動を採るに至りぬ。斯くとも知らず日々忠実(まめやか)に勤め居る内に、市兵衛は己れ石蝋製造の事を知らねば先づ青木方の子女等(こどもら)に見習はせ置く必要ありと、胸の恐ろしき企画少しも現さず巧みにキクを説いて、青木方の三平、トク、キタの三名を助手として雇入れさせ職を見習はせると共に暇さへあれば石蝋を盗み出させ居たるが、キク漸々それと感付けども家内に風波を起すは徒らに世の物笑となるに過ぎずと目を瞑り、其内には夫も悔悟する事あらんと知らぬ振して只管(ひたすら)製造に力を尽し居たるに、市兵衛の無情は日一日と募り来り夜昼の分ちなく有金を持ち出しては青木方に至りリヨと共に酒色に耽る有様、他人目にさへ憤ほろしき許りなりしに、昨年九月札幌に共進会開かるゝに至りて市兵衛は茲に恐ろしき鋭鋒を現し来りぬ。(つゞく)
 
(小樽日報 明治四十年十一月八日・第十六号)

 
 
 
 
 
   (つゞき)
 札幌共進会に際して市兵衛が恐ろしき鋭鋒を現はしたりとは抑何事なるか。キクは知人(しりびと)より勧められて自分の製造する石蝋を共進会に出品せんものと日夜苦心を積んで精製に余念なかりしに、市兵衛後々の企てあれば女名前にては出品する事能はずと巧みにキクを瞞着(ごまか)し己れの名義にて出品せしに、案に違はず審査の末一等賞を与へられぬ。市兵衛が魂胆は他日青木の三子が石蝋製造を習得するを待ちて其職業をキクより奪ひリヨと共に巧い事をせんとしたりしに外ならず。恁て忠実なるキクが日夜過度の労役に従ひて家事を思ふより外なきに、憎みても余りある市兵衛は頻りに有金を持ち出してはリヨと酒色を共にし不義の快楽に耽りつゝ、又其子等をして暇さへあれば石蝋を盗み出さしめつゝありしに、此事いつしか音喜多家の親戚の耳に入りて故障を生じ、本年七月に至りて遂に市兵衛を離縁するに至りぬ。かへす/゛\も不幸なるはキクが身の上なるかな。偖て離縁されたる市兵衛は自分名義の賞状を持ち居る事なり、且つはリヨとの密会誰憚る事もなくなりしより結句よい事にして音喜多方を立出しが、青木方にては表面上市兵衛を蝋燭職人として雇入れたる如く装ひて家に入れしが、何れ人面獣心の二人が事なれば、某日常の事記すも筆の汚れなり。恁て市兵衛此頃は共進会より得たる賞状を振廻し歩いて頻りに石蝋製造機械購入費を運動し居る由なるも誰一人応ずる者なきより、時々太ゝ(づう/\)しくも音喜多方へ怒鳴り込みては種々に脅かし手当り次第目ぼしき物を運び去るより、近所にては皆呆れ果ててキクを慰むる言葉もなき程なるが、半生の労苦何の甲斐もなく燈火の影うす暗き中に一人起臥して空房涙雨よりも繁きキク女が運命こそ誠にはかなき限りなりけれ。さるにてもかの市兵衛が無道暴戻何日までか天之を許すべき。吾人今此稿を終ると雖(いへ)ども常に彼が行動を監視して能く其心を改むるに非ずんば彼をして遂に社会的に殺さずんば止まず。
 
(小樽日報 明治四十年十一月十日・第十八号)

 
 

  底本:石川啄木全集 第8巻
    筑摩書房
    1979(昭和54)年1月30日初版
 

  入力:新谷保人
  2005年11月10日公開