鬼甜頭病に就いて
理髪店にゆく人注意すべし
 
石川 啄木
 
 
 
 
 老人(としより)ならば格別なれど時ならぬに頭禿げて其光煌々日月を欺き燈明台などと異名を付けらるゝ事誰しも感心した事に非ず。千古の英雄ナポレオンでさへ前頭の禿を隠す為に頭髪(かみのけ)を後から撫でつけたといふ事なれば、誰に限らず頭は苦にするものと見ゆ。近来方々にて髪の毛何日となく抜け出し頭中二つも三つも禿が出来ると云ふ噂がある。面白い事が流行(はや)るものだと思ひ居りしが、記者の一人も二三日前財産目録になかつた筈の豆大の禿三つ許りありと傍の人に心付けられ、急に頭がムズ痒くなつた様な気がし出して、若しや禿頭病ではないかと心配の一夜を明かし翌朝早速花園町公園通り桜井医師を訪ふて診て貰ひしに、之は禿頭病程恐しくはなけれど、鬼甜頭病とて矢張り伝染性の連鎖状黴菌を有し、多く理髪店の媒介にて伝染するものの由、理髪床は何処かと問はれ同じ公園通り江戸屋にて斬髪した筈と答へしに、同行の友人も同じ所で遂二日許り前に斬髪したからと心配し、燈明台になるのは怎しても厭だと診察を受けた所、之にも矢張り怪しき個所二つあり、共々に薬を貰ふて帰りしが、同医師の談によれば、該病に罹りたる時打捨(うつちや)つて置く時は次第に頭中に蔓延して、黒髪の林の中に沼が沢山出来た様になり、三四ヶ月経てば再び髪が生えるけれど、時としては毛根が病菌に侵されて養分が少くなり、為めに其部分だけ白髪となり全頭白黒の斑猫の如くなる事ある由、猶理髪床にてバリカンや剃刀等金属性の器具は消毒もし易く、現に何れの理髪床にても励行し居れどブラシやフケ取は大抵打捨らかして置くが為め其等より伝染する危険あり、苅放し剃放しにて帰るが一番安全なれど然う許りも行かねば、警察にて一層消毒を厳重取締つて貰ひたきものなり。
 
 
(小樽日報 明治四十年十一月五日・第十三号)

 

  底本:石川啄木全集 第8巻
    筑摩書房
    1979(昭和54)年1月30日初版
 

  入力:新谷保人
  2005年11月5日公開