男殺一代女
 
石川 啄木
 
 
 
 
 大の男の数々を手玉に取りて生血を吸ひ金を吸ひ、厭が来れば古新聞同様に捨てゝ顧みぬ恐ろしの女世にありと聞くだに浅問敷話なるに、之は又其道の剛の者とぞ聞えし。所は小樽区花園町十四番地と云つても、同じ番地に何百軒もあることなれば一寸解り悪(にく)かるべきが、小樽音楽隊本部前に今イ子(三七)といふ白粉荒のした年増あり。格子戸洩るる淫らなる笑声、さては出つ入りつする男の容子にて大概それと察せられたれば、それとはなく精探を遂げたるに、此奴生れは青森県黒石なるが、十七八年前余市の貸座敷某楼に娼妓となり、朝妻舟のそれならずとも怎せ浮稼業は水の上の事、流れ来るお客/\の顔は毎夜に異なれども百色畢竟一空に過ぎざるの理、男は変つても味は同じ事と面白づくの心得に愛矯振播けば、全盛といふ程でなくとも客足切(きれ)る事なく繁昌したりしが、今より七年前或者に身請せられて、之からは堅気に世を渡りますと殊勝な口前に米穀荒物店を出して貰ひ、初めの程は朝から晩まで襷掛の姉様冠り夫婦睦じく商売も景気づきしも、店に若者を使ひ勝手にうまれつき御飯炊きを傭ひ入れて漸々暇な身になれば生来の多情再び芽を出し、恩ある亭主一人を守り切れず、一寸と格好(やうす)のよい男を見れば豊(ふとよ)かたる乳房おのづからムヅ痒くなり、遂々河村某と出来合ひて亭主の不在の秘事(ひそかごと)。近所への用達も一時間二時間と遅くなる様になれば、隠れたるより現はるゝはなしにて自然と発覚し、立廻り度を重ねて離別の幕となりしかば、広からぬ余市の町に居所なく某と手に手を取りて当区へ流れ込み、稲穂町第一火防線通取引所前に稲穂館といふ下宿屋を開業、親類よりお何(一三)といふ女の子を貰ひ受けて、表面(うはべ)は申分なき下宿屋の主婦と成済したるは一昨年の暮近き事にやありけむ。場所が場所だけに相応の止宿人絶えず空室の数を無料で鼠に貨す様の事なかりしより、帳場に座つた河村大に脂下(やにさが)り、お前と一緒になつて俺も運が聞けたと喜び居りしに、イ子は昔採つた杵柄、手練手管も面白づくで生血は自分金は楼主に吸はせた浮気の年頃切(しき)りに恋しく、下宿人(おきやく)の誰彼容赦なく金さへ持つてると見れば手をつけて苦しめ居りし内に、昨年の暮漁業仕入のために出樽せる利尻の漁業家桃山某(四二)といふあり、待ち構へたる妖婦のありと知らではしなくも此稲穂館に投宿しぬ。(未完)
 
(小樽日報 明治四十年十一月三日・第十二号)

 
 
 
 
     (つゞき)
 仕入の資本(もとで)に懐裕かなる桃山が稲穂館に投宿せるは本人に取りて抑々の運の傾き初めなるが、イ子が為には此上なき勿気の幸福(さいはひ)なりしなるべし。頃は冬の半ばの雫催ひ、所用を了へて帰り来れば、火鉢に豆程の火二つ三つ残りて鉄瓶の湯も温し、タン/\と手を鳴らせば、待つてましたと云はぬ許りに莞(にこ)やかなる主婦しとやかに這入(はいつ)て来て、火勢のよい楢炭を十能から火鉢に移しつゝ、今日は大変寒うございますから熱いのを一本持つて参りませうかと目に媚を持つ親切を深い奸計(たくらみ)の緒(いとぐち)とは神ならぬ桃山の知らる筈もなし。一口二口戯談(じやうだん)を重ぬれば、アラマア劇(ひど)い事と思ふさま股を抓(つめ)られ憎からぬ心を起したが初まりにて、二人の間(なか)何日しか隣室の客を憚らぬ様になりては亭主の目にも付かぬ筈なく、ト或る雪の夜遂々二人共追出され、面も向けられぬ吹雪の中を消え残る街燈の数数へつゝ口惜(くや)しさ腹立しさ愛しさが一緒になつて語(ことば)もなく泣くさまよひ歩き、其夜は中央停車場前某旅館に泊り込みて後々の相談を決め、翌日より入舟町一丸方へ下宿せしが、桃山はイ子との関係(なか)に夢中になり仕入もせず家にも帰らず自堕落に過し居し事とて漸やく所持の金も費ひ果し、漁業の時期も逸し懐中(ふところ)寒ければ心も塞く、茲に途方に暮れて衣類など典じては其日/\の二人が口を糊し居りしも長く続くべき筈なければ、イ子心中秘かに見切をつけ表面上は巧く相談を持ち出して、或人から桃山を帝国生命保険会杜の募集員に周旋して貰ひ、函館に向て出立をせしは今年二月末頃の事なりし。桃山、寒さ骨に沁む夜汽車の中にて何と世の中を観じけん、それは知らねども、イ子は見送りの帰り路石に蹟(つまづ)いた機会(ひやうし)から桃山を忘れ果し事確かなるべし。(未完)
 
(小樽日報 明治四十年十一月五日・第十三号)

 
 
 
 
     (つゞき)
 桃山を函館へ追遣りしイ子は早速養女お何(一三)を花園町四季の家下伊藤某方へ下女に遣り、一家を引上げて稲穂町畑四十八番地市川竹松方の一室を借受け、表面は仕立物に精出す振をしながら得意の淫売を始め居る内に、郵便局の建築下請負帳場某を喰へ込み、一方ではお何の主人伊藤を巧みに蕩し込みて月十五円宛の手当を貰ふ事とし、男程脆いものなしと好気(いゝき)になり居りしが、茲に又市川方の下宿人に裁判所の工事監督某といふあり。金が有つて気前のよい処から運悪くもイ子の御撰択に預り、一寸一本手紙を書いて下さいが抑々の縁にて、蹴出しの紅から太股を見せられては男一匹唯は居られず、斯なると世の中が急に面白可笑くなるものにて、イ子は一方の下請負帳場に辛く当り遂々手を切りしが、某は裁判所落成になると直ぐ本年五月カラ太地方裁判所の工事監督に転じ、別れの空涙に言葉の数々虚実を尽せしも引止むべき術なくて別れしが、阿呆者世に尽ず。茲に又々カラ太漁業家と自称する古書画仲買業の○坂某と係り合ひ、内縁の夫婦と云ふ段取にまで運びを付けて目下花園町十四番地に世帯を構へしも、伊藤○坂の両人のみにては淫乱のイ子承知せず、相不変金のありさうな男と見れば引掛けて騒ぎ居るより、何日しか両人に嗅ぎつけられて見離されしが、此時だけは流石の妖婦も途方に暮れ、兎ても女一人にて一家を構へて届る事難しきより、去る九月に入りて一室を川崎八十八たる者に貸し同居する事とせしが、此川崎には元函館芸者上りの妻あれど二人の関係(なか)はすでに怪しくなり、イ子は目下盛んに寝取策を講じ居る由。昔から毒婦妖婦の数は多けれど斯許りの淫乱者は珍らしかるべし。男殺一代女死ぬまでにまだ何如丈(どれだけ)罪を作るやら、後日譚は何れまた皆様の御聴に達する事あるべし。
 
(小樽日報 明治四十年十一月六日・第十四号)

 
 

  底本:石川啄木全集 第8巻
    筑摩書房
    1979(昭和54)年1月30日初版
 

  入力:新谷保人
  2005年11月6日公開