女房の雲隠れ
 
石川 啄木
 
 
 
 
 阿婆摺女(あばずれもの)の寄合所、男といふ男の油断してならぬは北海道なり。素性の知れぬ女など引掛けて涎流してホク/\喜ぶなどは随分と険呑な話ぞかし。茲に小樽手宮は狸小路に何野何兵衛(三五)と云ふ極く好人物(おひとよし)の請負師あり。今年の春世話する人ありて山形県庄内生れのたけ(三三)といふを貰ひ受け、初嫁でもあるまいけれど大切にして可愛がる事他人目(よそめ)には可笑き許りなりしに、たけも初めの内は猫を冠つて頗る真面目に立働き居りしが、真面目腐るといふ言葉もあり、斯う真面目に許りやつては心が腐つて了ふと、持つて生れた浮気根性中々承知せず。何処に怎いふ色男を拵へたものか、遂此頃亭主の不在を好き機に虎の子の様に大事にしてある現金三十円と外に家財一切、衣類、傘、下駄、履物の果まで洗ひ渫ひ雑品屋へ売飛ばし、お負けに方々の商店へは目玉の飛び出る程の借金を拵らへ雲や霞と掻(かき)消えたので、斯くと知りたる何兵衛の怒り烈火の如く地団太踏んで口惜しがりしも後の祭り。今日此頃は御大将泣顔(べそ)をかいて下宿住ひをして居るとか。人を見たら盗賊(どろぼう)と思へとは少し言過ぎるかも知れぬが、油断は大敵、北海道の女は男を漁場の鰊と心得て居るものと知るべし。
 
 
(小樽日報 明治四十年十一月二日・第十一号)

 

  底本:石川啄木全集 第8巻
    筑摩書房
    1979(昭和54)年1月30日初版
 

  入力:新谷保人
  2005年11月2日公開