女中の秘密
 
石川 啄木
 
 
 
 
 小樽区裁判所前代書業田中一郎方の女中に鳥谷部チヨ(一九)といふあり。元青森県生れにて両親は目下黒松内に居り、兄の何太郎は中央小樽駅の駅夫となり居れるが、チヨ持つて生れた淫心年と共に増長して、十三四の頃から近所の若者共にチヨツカイを掛けて親の心配の種となりしも度々なりしが、黒松内に居りし頃、当時北鉄のブレーキメンたりし飛田杢助(二六)と何日の間にか出来合ひ漸く人の噂に上りしより、杢助は其為め朝里駅に転勤となり、友人の忠告にて行方知らせず雲隠れしたるより、チヨ此儘に置くものか世界の涯までも追かけてやると聞かぬ気を出し、方々聞合はせて琴似駅に居るものと早合点して早速家を飛出し琴似に行つて見たれど、情夫(いゝひと)の姿どうしても見当らず。困り切つて琴似病院の看護婦の下廻となりしが、程なく杢助が朝里に居る事判明したので鳥の飛立つ様にして来て見れば、杢助とて厭で別れたのでないから事もなく仲直りが出来、某料理店に住込ませて金を貢せ居りしに、昨年十一月復又中央小樽に転勤となりし故チヨも後を追来て、新聞の広告を幸ひ前記田中方の女中となり、伯母の家へ行くと称しては時々夜に出歩き停車場の合宿へ泊つて杢助と面白い夢を重ね居りしが、茲に田中方の書生斎藤好晴(二四)といふあり。寒中に単衣(ひとへもの)は着ても頭は七分三分に分けてテカ/\光らせるといふ酒落者なるが、一寸した戯談(じやうだん)からチヨと好い仲になり急に色男に成済(なりすま)して面白可笑く暮し居りしに、此事何日しか主人一郎の目に付いて追出され、仕方なくなつて横浜の知人が許へ高飛びしたのでチヨ聊(いささ)か落胆し代りの者を探して見たれど、差当りお誂へ向の男も無かつたのか元の杢助と綯を戻し、今猶伯母の家へ行くと称して合宿に泊る事一週間に二三度は必ず欠かさぬとか。世に女なくては過されぬ男あり、男なくては過されぬ女あり。何れを何れとも解ち難き心根の浅問しさ幾何、女中でも鍋の尻だけでは満足されぬものと可笑さも可笑し。
 
 
(小樽日報 明治四十年十一月二日・第十一号)

 

  底本:石川啄木全集 第8巻
    筑摩書房
    1979(昭和54)年1月30日初版
 

  入力:新谷保人
  2005年11月2日公開