貰子(もらひこ)の虐待
二八の少女不遇に涙/\
 
石川 啄木
 
 
 
 
 小樽区色内町四十三番地に焼麩(やきふ)屋を営なめる好人物の近藤某(四五)といふあり。幾何観音様に願かけても既に四十の坂を越して居乍ら妻さと(三三)との間に子のなきを淋しがり、寝物語りの相談一決して彼是詮議の末、本年四月の初め頃にさとの実家なる越中の親戚より五歳と八歳の子供二人を連れ来り、行/\は戸籍も移して近藤家の跡相続にせんと蝶花(てふはな)の慈育(いつくしみ)ただならず。子を持つた事のない二人は初めて家庭の温味といふものを味ひて何だか其日/\の仕事さへ励みがあると喜び居りしに、何れ世の中は何百万の役者を使ふ幕無しの大芝居、同日何時横合の花道から待つた/\が飛び出して来て立廻りや濡場愁嘆場の数々起らぬものでなし。茲に夫某が親身の弟あり。矢張越中の故郷にありて鋤鍬の生計(なりはひ)に辛くも朝夕の煙を立て居りしが、打続く不作の為めに出るものは息許り、遂々一家四散といふ大切りの破目になりしより、余儀なく三女お何(一六)の養育方を近藤に依頼し来りしかば、現在己が姪の箏でもあり事情が事情ゆゑ否む由なくて遥々小樽に呼び寄せしは遂九月の事なるが、妻のおさと何と思つたものか浅はかにも女心の疑深く、近藤の家を狙ふ曲者こそ御参なれと夫の目を忍んではお何を折檻し、針の様な言葉だけならまだしもの事、邪見な虐待至らざるなきより、近所の噂パツと立ち、お何は日に/\痩せの見えて二八の年に似合はぬ顔色の悪さ、勝手口の柱にもたれてはほつれ髪頬に寒く遙かに故郷の空をながめやれば、秋雲漠々として飛ぶ鳥の影も見えず、哀れ我がなつかしの父母や何処、斯かる身の運命は抑々(そもそも)何たる因縁ぞやと流るる涙止めもあへず、咲きもせぬ蕾の花のいた/\しくも雨に懊(なや)めるとなん。
 
 
(小樽日報 明治四十年十一月一日・第十号)

 

  底本:石川啄木全集 第8巻
    筑摩書房
    1979(昭和54)年1月30日初版
 

  入力:新谷保人
  2005年11月1日公開