岩内美人の大失策(おほしくじり)
 
石川 啄木
 
 
 
 
 岩内見番芸妓小高事、同町御鉾内(おもない)町二百番地菊地あさ方同居菊地セツ(二〇)といふは、渋皮の剥けた丸ポチヤの目が鈴の様にパツチリとして居る為(せゐ)か、果又外に何かお得用の事のありてか、鼻下長紳士連の御愛顧浅からず仲々の売ツ子なるが、或年或日或処で死損ねた華厳哲学者の口から単純生活(シンプルライフ)の御託宣を聞いたか怎だか、何でも世の中は御手軽主義三銭均一の軽便が文明の処世法、御安直が却つて金儲の秘伝と心得て、魚心に水心如何だといへば云と早速の返答は成程時問経済の上からいつても文明的な遣方かも知れず。此間もさるお客様の御伴仰せ付かつて来樽し、折柄の秋雨にシツポリとした濡場の数々を重ねた揚句が、残る煙ぞ癪の種、客は某丸(なにがしまる)に乗つて増毛(ましけ)へ帰り行きたれば小高一人還るも張合なく、稲穂町十四中央駅前の角定旅店に本陣を据ゑて好敵手こそ来れかしと尻を振り/\見張り居りしに、運か不運か一昨日停車馬通の往来で夕暮近き人込中、彼方(むかふ)もブラ/\此方もブラ/\突然(ばつたり)逢つて目を見合せおやと驚いたは、空知郡滝川村丸井呉服店の番頭にて今田重平(二六)と呼ぶ色男。青鼻垂らした十二三の頃より勤め上げて今年の春頃漸々番頭と成上り、地方/\の華客(とくい)廻りや仕入れ方を担当して主人の信用も殊の外に厚き奴なるが、年中出張ばかりして居て大旦那から眼鏡越の監視を受くる事も無きより旅の恥はかき捨とやら、兎角自由と吾儘は相似たもの、小僧町代の辛苦を忘れて何日(いつ)しか大紳士気取となり、敷島の煙ゆるやかに大法螺を吹く事巧みなる上鼻筋通つて色浅黒き男ツ振り憎からず、粋な重さんと行く先々の女共に持囃さるるより、当人天下様にでもなつた様な大得意にて、主人の信用厚きに付上り内密仕事に正しからぬ儲を懐に入れては芸者狂ひに現(うつゝ)を抜かし、所持する女共の写真二百余枚は鞄の底深く秘めて、重さん此頃少し痩(や)せたねといはるれば饗つてやらうと直ぐ笑顔になる男なるが、三日程前に矢張商用にて小樽に来り用向も大底片付けて偖て之からと思案の道すがら、予て買馴染の小高に逢つたので宿を聞けばコレ/\そんならと眼で物いへば眼で答ふる敏捷(すばしこ)さ、早速二人連にて角定に還り来り室に上つて襖を締め切りたれば中の様子は知る由なけれど、一時間半許り手間取りて後、重平は六十円許り在中の財布を小高に預けて一旦己が宿に還り七時少し過ぎて再び出直して来りしが、下女がそれと察したらしければと小高の注進に宿帳へは遠山重平と記させ、暫しが程は酒盃さしつさされつする影法子障子に映りて私語(ささめごと)隣室の客へも洩れ聞えしも、軈て一室森として洋燈何時しか暗くなり二時問許りは天井の鼠の笑声のみ高かりしに、階子段トン/\と上り来る足音女中ならず番頭ならず剣佩つて手帳持つた人に踏込まれて小高は引致(いんち)となり、淫売の科(かど)にて七日の拘留に処せられしが、保証金七円を納めて一旦放還されしも、重平下つた目尻を上げて憤り是非共正式裁判を仰ぐべしと切(しき)りに小高を唆かし居るとなん。幾等旅の恥でも斯うなつては勝手に掻捨(かきすて)もなるまじく誠にお気の毒様なお話なり。
 
 
(小樽日報 明治四十年十月三十一日・第九号)

 

  底本:石川啄木全集 第8巻
    筑摩書房
    1979(昭和54)年1月30日初版
 

  入力:新谷保人
  2005年10月31日公開