看板娘の艶事
 
石川 啄木
 
 
 
 
 区内入舟町十五番地鉄橋下の牛肉店と言へば、ウン彼(あれ)かと大抵の人は相好を崩して変な笑方をする。其は何故かと問ふも野暮、町内切つての評判者お千代(二一)といふ看板娘のあればたり。偖も茲(ここ)に此牛肉店の主人門太郎が甥にて、早くより同家の勝手元万端店先の仕事まで何彼と手伝ひ居たる何太郎(二三)と言ふあり。昔は東都浅草の真中で水道の水に産湯を使つただけありて、言葉付から容子から気持のよい程キツパリとして鼻筋通つた優男。お千代何日しか思を焦し、襖一重の寝息に胸躍らせて乳房抑へる事も毎夜なりしが、親の手前、奉公人の手前、言寄る術もなくて同じ飯台での夕飯甘く茶碗の中から流眄(いろめ)を使へば、際どい所で目と目が合ひハッと面を赤めしより、何太郎も偖はと心付きそれとなく当つて見れば、お千代の嬉しさ耻かしさ手巾(ハンケチ)の端を前歯に噛んでの思はせ振も喰つて了ひたい程可愛く、茲にポーツマスの談判何の面倒もなく調印済となりしが、猫が鼠にからかふと同で始めの内こそチヨイ/\手を出すのみなれど終には喰ひつかねば承知せぬといふ獣の本性、二人の情交も漸く人目に立ち両親の耳にも入りしより、門太郎の驚き一方ならず、少しの過ちにかこつけて甥を解雇せしかば、お千代悲しさ腹立しさ、咲いた桜の枝折る鳥情知らずの親烏と口にこそいはね、心の底は遣瀬なく鬱々(うつ/\)として店にも出でず居るうちに、風邪をひいたのが原因となりて枕についた揚句が肺の患ひといふ騒ぎに成り原田病院へ入院させしは一昨年の暮の事なりしが、不意にクーデターを喰つた何太郎寄辺(よるべ)なき捨小舟(すてをぶね)の詮方なく、口入屋の周旋にて浜町某物産商へ丁稚奉公に入り込み、暇を見ては原田病院へ見舞かかさぬ親切にお千代大(おほい)に力を得、日増に快方に赴き咋年三月退院し、其後は近所の某旅館を密会の場所と定め病後の身に運動が何よりと飛んだ処に理屈をつけて出歩き何太郎との逢瀬に心を奪はるゝより、父親門太郎俄かに悟り出し一層の事二人を夫婦にするが本人の為め親の為め却つて安心なりと遂々結婚させしが、当座の睦まじさは何に譬へむ方もなく四辺(あたり)で遠慮して見ぬ振する位なりしかど、モウ是で安心となつては気が弛み何だか先の日の忍ぶ恋路の方が楽しみの多かつた様な気がし出して、お千代顔に似気なき大胆な心を起し、此頃は小樽停車場のハイカラ電信手何の某といふ色男に関係を付け訝な味をしめて居るので不日一悶着あるべしと近所の噂をとり/゛\、世の中で一番有難い神様を見た人のなしといへば何れ世の中で一番楽しい事も或は人目を忍ぶ暗がりの中にある事にやあらむ、さりとは危ない話なり。
 
 
(小樽日報 明治四十年十月二十九日・第七号)

 

  底本:石川啄木全集 第8巻
    筑摩書房
    1979(昭和54)年1月30日初版
 

  入力:新谷保人
  2005年10月29日公開