女菩薩の魂胆
 
石川 啄木
 
 
 
 
 稲穂町十四番地に江一格子の中奥床しく見るからに小洒(こざつぱり)とした一構へあり。秋雨しと/\と降る宵など艶ツポイ三味の音の粛やかに洩れて、往き来るさの人は蛇の目傘に袖を濡らしつゝ足を止めて耳を澄まし、これは抑何人の住居ぞと好奇心(ものずき)に隣近所聞き訊す手合もありしが、主人は和田糸子(二四)とて何の因縁のありてか未だに独暮しの若造り、下女のお何と唯二人にて紅友禅の夜着干す橡端に横になつて小説本を拾読(ひろひよみ)する艶めかしさ、蹴出しのこぼれより現はるゝ肌の白さは雪の如かりしと垣間見に涎流せる助平の語りしが、外出の姿はまだ十八九のお嬢さんなれど朝夕の化粧(おつくり)に念入れた容子は何うしても普通者ならずと見る人々うなづき合へりしも其筈、此糸子といふは知る人ぞ知る、数年前に函館小樽を跨にかけて鼻の下長い男の数を生檎つた名代の売春婦(ごけ)にて、仙台生れには珍らしき色白の愛嬌者、往来と云はず汽車汽船の中と云はずツンと済し込んで居て流眼を便(つか)ふ様振ひ付きたい許りなれば、名を出しては揮る側の人々にもマンマと此奴が手に釣られて自由自在に手玉にとられた話少なからぬ由なるが、再昨年の夏の頃汽船苫前丸の船員何山とかいふを巧みに喞(くは)へ込みて手練手管の妙を尽した結巣がお囲者(かこひ)となり、中央停車場の下通りに一家を構へて貰ひ、月々の手当三十円、衣服(きもの)や小遣銭は此外とは随分慾に限りのなき沙汰なり。処で此船員といふ職業は月に三回か四回しか上陸の叶はぬもの、平生は西に東に浪の上、何山も糸子が写真衣嚢(ポケツト)に入れて朝夕身を離さず、舵楼(だろう)の上に月影冴ゆる夜毎の夢は想へる人の枕辺にのみ飛び、上陸を待ち兼ねて日が長い夜が長いと口癖に喞(かこ)つ位の執心なりしが、糸子は持つて生れた病にて一晩といへども独寝の床は足が冷えてならぬと、御本尊が船家業なれば此方も水仕事三十円位で束縛される理由(わけ)なしと、何山の外に同じ船員三人も盪し込んで矢張月々の仕送を受け、それでもまだ足らずと花園町十八仲立業の某と云ふ者と殊の外の別懇を重ね、代り/\の泊込みに閨の燈の寂しさも知らず、機関(からくり)巧みなれば鉢合せの立廻りも起らず、一年程にして千円近くの金も溜りしより、前記仲立業の某と相談して一咋年の秋あたりから所々に貸屋を建て家賃やら何やらにて、髪の飾りや季節/\の服装は何山等の貢ぐ所なれば月々の収入増す一方の有福に、成程女と生れては親譲りの財産只一つにて沢山なものと喜び居しに、昨年九月中央商品館附近の火事に糸子が建てたる貸家一軒も災ひに罹りし為め、予て契約し置きたる日宗保険会社より保険金百円払渡の段となり、仲立業の某が立合つて事もなく受取りしが、右受.領の広告を新聞に出す出さぬで会社より幾度となく交渉せしも糸子何日かな応ぜず。之は又奇妙な事もあればあるものと探つて見れば、実は御本尊の何山へは内所での貸家故保険金受領の広告が出ては何もかも露見して了ふと言ふ際どい仕事と解り、会社の方でも可笑く成つて其儘(そのまゝ)にしたる事ありしが、石女でも有るまじけれど子の無い幸ひに何日迄経つても十八九の水々しさ。左様(さう)した女と知る人少なければ切つても切れぬ縁の縄につながれた四人五人今猶各々自分のものゝ積りにて糸子が懐日に/\肥えゆくとなん。外面如菩薩内心如夜叉、魂胆の数々はまだ/\あるべきが、妾一人の囲ひ方に困つて細君の御機嫌とり兼る人達少しは此女に秘伝を聞くがよかるべし。
 
 
(小樽日報 明治四十年十月二十九日・第七号)

 

  底本:石川啄木全集 第8巻
    筑摩書房
    1979(昭和54)年1月30日初版
 

  入力:新谷保人
  2005年10月29日公開