革新派の「大農」を観る
 
石川 啄木
 
 
 
 
▲竹内は俳優でなくて座長寧ろ興行主だといふ人がある。然り、芸に於る竹内は敢て拙いとは云はぬが非凡ではない。常に身体が頭脳の命令通りに働きかねるといふ恨みがある。彼を以て他の地方巡業(まはり)の俳優と同一視するは無論誤りであるが、さりとて竹内を上手な俳優だといふのも正鵠を得た評ではない。▲竹内は俳優中で最も外交に巧みな男と云はれて居る俳優で、外交に巧みだといふのは乃ち彼がコンダクター寧ろマネーヂヤーとして技倆のある所以だ。比較的腕揃ひな革新派の一団を統率して、随処に人気を占めて居るのを見ても之は明瞭な事である。▲然し乍ら竹内を以て他の所謂座長と同一視するのも、黒白を弁ぜぬ話である。彼は地方/\によつて人気に投ずる事も巧みではあるが、時としては却つて其地の人気に逆ふ様な事をする。之は他の所謂座長に見られぬ所であり、▲謂はば竹内は俳優でもない座長でもない一個劇道の熱心家である。彼は人気を得て金儲をするといふ以上に、如何にかして劇其物に忠実でありたいと心懸けて居る。▲劇に忠実でありたいが為めに、彼は好んで新脚本を上場する。試験的に東京で演ぜられたものを取り来つて、直ちに之を地方の好劇家に紹介する。紹介するといふのが実に当を得た言葉で、彼が此度の「大農」といふ比較的低級な看客に解り悪(にく)い劇を札幌で打ち、当地で打つのも全く斯くの如き劇の面影だけでも写して看せたいといふのである。予は実際竹内君の意気の壮なるに感服した。▲「大農」は前にも紹介した如く、今春都新聞一千五百円の懸賞で森博士其他有数の大家連の審査の結果、一等賞を?ち得た佐野天声君の新作。スカンヂナビヤの一角に掘起して、全欧洲を席卷捲した大イプセンの影響を享けた一種の思想劇……社会劇であつて、其価値は実に世評によつて決して居る。一度東京本郷座に演ぜられて新劇勃興の気運に先鞭をつけたものである。▲サテ一昨夜記者が看に行つた時は予想以上の入で、而して俳優諸君の熱心な事も亦実に予想以上であつた。▲略筋は既に掲げたから云はぬとして、序幕の加納村歓迎会は取立てゝ云ふ程の事もない。慶鍛冶宅裡手の場は一番無難、宏蔵殺害と利根河畔大洪水の場は殊更に引立つて見えた。▲但し殺害の場で和子最初の驚き様が足らなくて、予期して居た様に見えたのと、藪医者が殆んど舞台の神聖を汚す許り人を馬鹿にした遣方とは拭ふべからざる傷であつた。▲細評は次に控へて居る稲香評に譲るとして、兎も角も感服、俳優諸君の熱心には満足、三木君には殊更感服、竹内君の元気と成功とを祝して、斯る地方に居ながら斯る立派な劇を見るを得た事を感謝する。出来る事なら今晩だけでなく一日位は延して貰ひたいものだ。▲終りに一つ注意して置きたいのは、小松(堀田)がスプインクスと云つたのはスフインクス(女面獅身の怪物)の事だらうが誠に聞苦しく、キユピツドをキユピツトーに云ふたのも耳に障る、今夜は直して貰ひたい。(以上、一記者)
 
 
(小樽日報 明治四十年十二月五日・第三十八号)

 

  底本:石川啄木全集 第8巻
    筑摩書房
    1979(昭和54)年1月30日初版
 

  入力:新谷保人
  2005年12月5日公開