えんげい・「大農」略筋
 
石川 啄木
 
 
 
 
 一昨日来革新派竹内一座が大黒座にて演じつゝある新劇「大農」に関しては多少前号に報ずる所ありしが、今左に其略筋を掲げて読者諸君の参考とせん。
 
 序 幕(加納村歓迎会)
 野外の新色目に鮮かにして春風漫に人を酔はしめんとす。老地主加納宏蔵の宅には、甥なる少尉小松緑弥の歓迎会開かれたり。宏蔵の枠務(主人公)も緑弥と同じく軍に従へる者なるが、故ありて捕虜となりしため、其耻辱を拭ふべく心に期する所ありて親友三輪大尉と共に帰り来る。父宏蔵を初め妹和子及び加納村の村民共如何にか彼を遇しけん、務は涙を呑みて故郷を去らざるべからずなれり。友の三輪大尉は務の為めに冤を雪ぐ事甚だ力めたれど、彼遂に宏蔵の勘気を蒙り、冷かに過ぎゆく父妹等の後姿を見送りて孤影悄然たり。一子を従へたる妻の康子も亦父と共に来りて務に離別を求め、幼児潔を残してつれなくも去り行けり。大志を抱ける務が此際の感激果して如何。唯一人三輪大尉ありて我が主人公に限りなき同情の涙を濺げり。茲に痛快なる慶鍛冶出で来りて局面は新しき開展を見んとす。
 
 第二幕の(一)(慶鍛冶宅裏手)
 村民金助、五作の両人、墓参の帰るさ農具鍛冶慶治方へ立寄りて加納務の噂を為合ひ、果ては悪口をなしつゝある処へ、測量器具を小脇に抱え鉄鞭を突き鳴らして帰り来れるは慶治方に起臥する務なり。彼は何心なく慶鍛冶の作れる鎌に「新月似磨剣」の銘を刻す。既にして迎への者来り、務は子の潔を伴ひて父方に赴く。後には吃の嘉七、恨ある務を見送り憤然として何をか為さんとす。康子此所に出来りて、利慾の念より再び加納家に帰らんものと慶治に向ひ瀬踏的の言を弄す。率直なる慶治の区辞は、此陋劣なる女性の胸を抉りて痛快なり。
 
 第三幕の(二)(地主の寝室)
 病臥せる老地主加納宏蔵、娘和子と共に伜務の荒き気質を批評して其前途を危懼す。務来る。彼の気焔万丈盛んに大農法の国益を進むる所以なるを説けども、父は小農主義に甘んずる人なれば意見合はず、されど宏蔵は全財産の三分の二を務に其の一を妹和子に譲りて、切に其将来を誡む。
 
 第四幕(地主の後園)
 利根の長江は青簾の上に白帆を点じ、城壁に髣髴たるケレツプ式堤防、穣々たる稲田布川町の碧甍など見ゆ。秋禽三四柿を啄みて樹梢に鳴く加納家の後園、榎の根方の榻に腰掛け、駒塚順一と語る女は、元順一の妾、今は東京芸者の春吉なり。尚数名の芸妓出来りて歌ひ騒ぐ。
 小作人数名、務が大農法の演説を聞いて各自の生存危きを知り、口を極めて務を罵り果は危害を加へんとして相談区々、吃の嘉七先づ順一の手先なる春吉の皮肉なる教唆に乗ぜられて自ら務を害せんと云ふ。
 
 第五幕の(一)(地主の家)
 吃の嘉七は遂に殺人の大罪を犯せり。あはれ務は殺害されたるか、否、和子か、否、其父宏蔵なりき。
 犯人は何者ぞ、と務が心中模索の時、和子は犯人を知ると言ひ、其名を加納務と呼ぶ、兄妹は父の死骸を前にして諍そへり。宏蔵を間接に殺したる者は務なりとの和子の言を兄は大笑しつゝ説く事少時、されど和子は父の子として小農主義を執り、兄の大農主義を孰れが最後の勝利者たるか、時の裁判は公平ならんと兄妹浅間しく茲に義絶す。
 新造の鎌三千挺の内、務が戯れに銘打つたる其一挺こそ宏蔵を殺したる兇器なれ。此偶然の出来事に加納家の雇人一同愈々務を疎んで憎み、挙つて解雇されんと申出づ。番頭、女中頭、仲働、小間使、馬子、牛飼、掃除番等渾て去れるなり。宏蔵死したるにも拘はらず人々は務を憎しみて、別家、新屋、東、南、質屋、酒屋、夫等の渾ても見舞に来らず。さしも繁栄なりし加納家は伽藍の如く、務妻子と仏と唯四人のみ残りし寂しさに、康子さへ繰言するを務は叱陀しつ、かのアルプス越の大那翁が刃の如く吹き颪す天風に馬の鬣捻ぢ向けし時の意気をもて、大活動大飛躍を試むべく、神は大農を讃し給ふと意気昂然たり。(以下次号)
 
(小樽日報 明治四十年十二月三日・第三十六号)

 
 
 
(二)(大黒座替狂言)
 
 第四幕の(二)(鎮守の森)
 浙瀝たる雨中を走りて慶次方に至らんとする吃の嘉七と此処に逢ふ。嘉七殺人の大罪を告ぐ。慶次驚き計るべからざるも、彼は嘉七が大罪に驚くよりも己が善根を積まんが為め、稲刈るべく作りし鎌を其昔作りたる日本刀と同じく人斬に換用されたるに驚き、且つ怒る……如何にして慶次の怒解けしや、務は仏の始末に困じ果て、せめて慶次の手など借りんと此所に来る。殺しゝ筈の務を見て驚く嘉七、死したりと思ひし務を見て驚く慶次、二人は唖然たりき。程もなし嘉七は務と誤り其父を害したる事を知るや、殆ど狂乱して務に刃向へり。務は又親の敵を嘉七と知りて前後もなく復讐を加へんとす。慶次は其間に処して如何にしたりけん、刑事は来れり。
 憐れむべき罪人は引かれ行かんとして其妹の来るに逢ふ。彼泣き、是泣く、夜は更けたり。
 
 第四幕の(三)(彫工の庭)
 加納家を暇取りし人々は利子の嫁げる小松家に雇はれたき旨を哀願す。
 康子来りて懲ずまに禄弥との恋を昔に返さんとす。禄弥は康子を呼ぶに不貞腐れ婬婦云々と言ひ、穢らはしき者の再び我家に来る事勿れと侮辱甚だ痛快なり。康子は女に有まじき振舞して、昔情緒纏綿の両人、今浅ましく挑み合ふ。父順一現はれて底意憎むべき言を弄する事稍久し。
 堤工事の秘密を知れる鍛冶の慶次は順一を懲さん為めに突として現はれつ。旋て格闘、天地、暗憺、悲風颯々。
 
 第五幕(一、利根河畔、二、大洪水)
 雨は滝の如く降り坂東太郎の水音雷を欺く。老地主加納宏蔵の葬送を務の手に営まするは村の耻辱と思へる村民ども加納方へ押寄せて殺気紛々たり。而も務が機敏なる所置と傲然たる態度は却て村民を感服せしめたり。
 慶次息せき出で来り堤防の急を告ぐ。遠く「切れた/\堤が切れた」と女の声す。「逃げろ/\」と呼ばふは男の声、天地一変、濁浪天を浸し白波地を翻す。流木縦横、死屍旋廻、惨たり又悽たり。務は宏蔵の死屍を左手に抱き抜手を切つて泳ぎ出づ。一浮一沈勇気時に沮むが如くにして而も沮まず、稍もすれば溺れんとする巨浪の翻弄を巧みに避けて、榎の梢に取付きぬ。梟の声聞ゆ。
 
 大 詰(洪水後の屋敷跡)
 花崗岩の断礎、築山の新しき高丘、其間を貴き次第上りに茫々たる洪水後の水田万頃、坦宛ら砥の如く暁の空に浮べり。務は此光景を眺望して意気更に軒昂せる処に半王花助来る。八歳の彼は禄弥と康子に依つて生れたる隠し子なりき。花助の無邪気たる言葉にそれと気付きし務の心は如何なりけん。
 嘉七出でゝ窺ひ更に務を害せんとしたれど、彼は遂に悔悟して自刃せり。
 安否を気遣ひて急行し来れる三輪大尉と務は握手しつ。三度び四度び其手を振り動かし軈て解いて大尉の面を打眺め、渺々として際涯なき洪水後の水田を更に望みながら曰く、神は洪水てふ鏝を当てゝ人問の作りし小なる区劃を除去したり、大なる神意の前には卑しき人間の手細工の跋扈を許さず神は大農を讃し給ふと。(終)
▲住吉座は久振りにて旧俳松燕、梅丸、滝太郎一座の若手揃ひにて、一番目「木村重成」、二番目「籠釣瓶」なるが、松燕の治郎左衛門、滝太郎の木村重成が呼び物となり頗る人気よし。▲札幌大黒座に乗込みし堀江、稲葉、大山、川上一座は毎夜好人気にて、一昨夜などは客止めの景気とは目出度し。▲同地札幌座はお馴染の七百蔵、市蔵一座へ三寿之丞が全快し昨日より出演し、中幕で朝顔を扮し居る由。▲寿亭 連夜大入続きなる越寿一座今晩の語り物は左の如し。


 
鎌三八ツ目(駒子)箱根餞別(其清)日蓮三(小要)太十(六助)浜松小屋(かなめ)八陣八ツ(小桝)卅三間堂(駒太郎)寺小屋四(管太郎)酒屋(小六)十種香狐火迄(越寿)絃小政ツレ(政子)千両幟(掛合)
 
(小樽日報 明治四十年十二月四日・第三十七号)

 
 

  底本:石川啄木全集 第8巻
    筑摩書房
    1979(昭和54)年1月30日初版
 

  入力:新谷保人
  2005年12月5日公開