えんげい
 
石川 啄木
 
 
 
 
えんげい・寿亭
 
 昨紙に報じたる如く、娘義太夫竹本越寿一座再び同亭に舞戻り、竹本小政一座と合同にて愈々本日より毎日午後四時開場、風雨に不拘休みなしの勉強の由なるが、割引券御持参の方は不足料共木戸十銭にて、今晩の語物番組は左の如し。




 
御祝儀宝の入舟(入登)加賀見山又助住家の段(竹本駒子)梅野由兵衛重楽町の段(鶴沢其清)先代萩竹の間の段(竹本小要)日蓮記三段目(竹本六助)信功記妙心寺の段(竹本かなめ)朝顔日記宿屋の段(小桝)鎌倉三代記三浦別れの段(駒太郎)お駒才三鈴ケ森の段(管太郎)玉藻前三段目(竹本小六)お俊伝兵衛堀川の段(竹本越寿、竹本小政)本朝廿四孝四段目(惣掛合)
 
 
えんげい・大黒座
 
 革新派竹内一座の「桑港」は昨夜にて打揚となり、本日よりの二の替は一番目「色欲二道」全五場、二番目「大農」全十場と据り、座中大車輪にて勤むる由なるが、其場割役割は左の如し。






 
(一)加納村歓迎会(二)慶鍛冶宅裏手(三)加納家宏蔵病室(四)地主の後園(五)加納家宏蔵殺害(六)加納村鎮守の森(七)彫工の庭前(八)利根川河畔(九)大洪水(一〇)洪水後の屋敷跡
(役割)三桝屋芸妓春吉(藤田)加納和子(山本)吃の嘉七(武田)桜井慶治(三木)加納宏三(咲山)芸妓駒助(太田)百姓望月五作(村山)手代白柄太助(稲葉)百姓三太(木村)加納家番頭杢平(厚見)女中お島(花岡)芸妓一筆(斎藤)百姓頓平(東)村長険呑九郎(村越)渡辺金助(菊沢)駒塚順一(飯田)公証人六角民助(松本)嘉七妹お米(重の井)加納康子(若柳)三輪大尉(渋沢)小松緑弥(堀田)加納務(たけ内)
 猶此「大農(だいのう)」は新進作劇家佐野天声氏の作にて、人の既に知る如く、今春東京都(みやこ)新聞社が一千五百円の懸賞にて弘く江湖に募集したる新脚本四百余種中、諸大家の厳密なる審査の結果一等賞に当選したるものにて、此作一度出るや是非の声紛々として中央の評家狂へるが如くなりき。之れ真の傑作なりや否やは疑問なれども、浅慮語るに足らざる現時の脚本界に一新機軸を出して正しき意味に於ての国劇を呼ぶ声に応じたる意気旺盛の作なるは呶々を要せず。尤も目下場に上すものは原作に数度の改竄(かいざん)を加へ以て当今の劇場と融和を図りたるものなれども、各人の性格明らかにして、従来の脚本に見るべからざる深さあり。且つ之を内部より見る時は、現代思潮の大勢を具体化したるものとも見るを得べく、日本劇壇に於けるイプセン劇最初の影響とも云ふべきか。記者は小樽の如き趣味低劣なる地に来つて斯くの如き新作を紹介せんとする竹内君の勇気を多とする者なり。猶此劇の略筋は明後日の紙上に載せて、看客諸君の参考とすべし。▲当地に於て一座を組織し昨年樺太大泊へ乗込める愛矯会の関伊三郎、勉強会の大川千八郎は、今夏より必死となつて今尚競争中なるが、冬季となりて渡航民の大部が引揚げしため両座共大打撃を蒙り、昨今座食の悲境にありと。▲同じくマウカヘ乗込みし新派劇酒井利喜雄一座は解散の憂目に逢ひ、目下出面取といふ憐れ果敢(はか)なき境遇に陥りし由。▲之に引替へ旧劇の萩町八重三一座は大成功して過日帰樽し、更に両三日前増毛へ向けて乗込みたり。
 
 
(小樽日報 明治四十年十二月一日・第三十五号)

 

  底本:石川啄木全集 第8巻
    筑摩書房
    1979(昭和54)年1月30日初版
 

  入力:新谷保人
  2005年12月5日公開